システム論
昨日、一般社団法人さよなら不登校が主催する「親力up講座」で久しぶりに家族療法を学びました。
個人的には、ミニューチンの理論が日本に紹介された頃に結構力を入れて学んだことがあります。
今から30年ほど前のことです。
エリクソン、ベイトソン、ミニューチンといった流れで、当時の私は学んでいきました。
そしてそこで学んだ対人援助の基本の枠組みが、この学びの森の活動の一つの軸になっていることは確かなことです。
学校へ行けなくなった子どもたちの多くは、いろんな活動が停止状態にあります。
「自分なんてどうしようもない」
「生まれてこなければよかった」
「誰も信じられない」・・・そんな言葉が聞こえてきます。
そういった状況の子どもたちに対して、限られた時間軸の中でどのような変容を生んでいくのか?
それが私たちに与えられた課題です。
これまで停滞していた状況に、どのような介入を想定し
それをどういったタイミングで、どんな形で実行するのかということが求められるわけです。
システム論は、俯瞰性を前提としています。
具体的な行動群を支配している上位の文脈を扱います。
それが家族、生徒同士、生徒-先生といった対人関係の中でどのように機能するかを見つめ、
そこにより建設的な関係性の提案をおこなうのです。
「見えないもの」を扱う
まさにシステム論は、そんな領域なのかもしれませんね。