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日誌

第21回南丹ラウンドテーブル

9月10日(土)、第21回の南丹ラウンドテーブルが開催されました。
ラウンドテーブルは、困難を抱える若者たちの支援者や当事者などがともに学びあう場です。
今回のテーマは、「若者にとって『よい』キャリア形成とは?」
「若者」と呼ばれる年齢の一人の人として、個人的に振り返りたいと思います。


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まず初めに、今回このテーマを設定するきっかけとなった、ある若者の話が塾長から語られます。
とあるジムでインストラクターのリーダーをしている26歳の男性は、アルバイト8年目。専門学校時代からそこでアルバイトをしているため、社員になる誘いもあるものの断り、アルバイトとして働き続けているそうです。
その理由の一つは、社員になるとやりたくない仕事に追われてしまうこと。
もう一つは、生涯独身でもいいかなと思っているということ。
この若者のエピソードを呼び水に、「キャリア形成」について考えていきました。
ゲストにお迎えした、若者のキャリア問題をご専門にされている神戸国際大学の居神先生から「メンバーシップ型雇用」と「ジョブ型雇用」の二種類の雇用形態の存在、その二種類しかないことが若者にとってしんどさを生む要因になっていることをご紹介いただき、今の若者を取り巻く就職、雇用等のキャリアにまつわる現状を整理していただきました。
その後は参加者が自由に思ったことを発言…といういつものスタイルで進んでいったラウンドテーブルなのですが…私は皆さんの発言をどこか上の空で聞きながら、なかなか頭が回らず、思考が上滑りしていく感覚でした。
なぜこんなにもうまく「キャリア」について考えられないのか…?と自問したときに、ふと「キャリア」という言葉へのざらっとした違和感を意識するようになりました。
「キャリア」は、気づいたら自分の通ってきたあとに自然と積み重なって出来るものというイメージが自分の中にあり、「これからの『キャリア』」といった形で、現在から未来に向けて考えていくものというイメージが自分の中にないから考えづらいのか…?
そもそも「キャリア」という言葉は即ち仕事のキャリアのみを意味するに非ず、ひとの人生全体を包括できる言葉なのでは…?だから就労や雇用といった論点ばかりで語られる「キャリア」にこんな違和感を感じるのか…?
と、自分が違和感を感じる具体的なポイントの輪郭がぼんやり見えてきました。
じゃあ、「キャリア」と言うよりも、もっとしっくりくる言葉があるのでは…?と考えたときに頭に浮かんだ言葉が、「生きる」という言葉でした。
「キャリア」という言葉を使うことによってこぼれ落ちてしまう、その言葉が本来含んでいるはずの意味、いち生活者としての「キャリア」とか、いち女性としての「キャリア」とか、いち学ぶ者としての「キャリア」とか…を、全部ひっくるめて言うと「生きる」ということなのではないかと思ったのです。
「どうキャリアを形成するか」より、「どう生きたいか」で考えた方が、私の場合うまく頭が動き出すようでした。それもとっても難しい問いなのですが…
ひとりの働き生活している人間として、私が考えなければならないのは「どう生きたいか」なんだ、と目の前に突き付けられたように感じた、今回のラウンドテーブルでした。