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日誌

中学生の頃の疑問と今思うこと  その1

「こんなこと勉強して大人になってからの生活で何の役に立つんだろう?」
私が中学生のころ、ときどき感じていた疑問です。 答えを求めて親や学校の先生に尋ねたことがあったと思いますが、その当時、ストンと納得したり心に響くような答えをもらったことはありませんでした。


この疑問の中には大きく二つの問いがありました。ひとつは「なぜ自分の適正に関係なく9教科全てを理解し、こなす事を求められるのか?」 もう一つは「自分の生活にどう役に立つのかわからない。」です。きっとみなさんも同じようなことを思ったことがあると思います。納得いく答えに出合ったり、こういうことなのかなと自分なりに考えたりしましたか?
中学生の頃は納得する答えに出合えず、またありきたりな言葉でしか答えてくれない大人たちにがっかりしながらも、わたしはずっと心の中にこの疑問を持ち続けていました。
高校生になり、学習教科が細分化され定期テストの教科数が増え、理数系が不得意だった私は、数学で三角関数や対数が出てくると、、例の「こんなわけのわからん事将来何の役に立つん!!!」の疑問がむくむくとやってきて、すっきりしませんでした。化学の mol が出てきたときも「何でこんなんいるん??」と頭の中でグルグル・・・・・。
でも赤点を取るわけにはいかないので、問題を解く操作というか技術は練習量をこなす事で身につけていきました。
そんな高1のあるとき、ふだん解説しかしない数学のおじいちゃん先生が、三角関数が発見れたおかげで飛行機の羽が設計できるようになったということを高校生にわかるようにザックリと話してくれました。
他にも虚数の発見や、微分積分についても、このようなことを話してくれた記憶があります。これらの話から、今学校で勉強していることは、先人たちの生きてきた歴史であり、先人たちが発見したり考えたりしてきたことなんだ。そして自分たちの今の生活はその学問の産物の上に成り立っていて、その恩恵を受けて生きているんだと思いました。
それからも相変らず化学や数学は苦手でしたが、実感はできなくても何かしら自分たちの生活に関わっていることを学んでいるんだと思うようになって、例の「なんで~?」のストレスはほとんどなくなっていきました。
大人になり、おばさんになった今、十代のなんでもスポンジのように吸収できる時代に、得意不得意はあっても全ての教科をしっかりと勉強しておくことが、残りの長い人生を味わい深く、豊かなものにしてくれると、実感しています(少しの後悔の痛みを感じながら・・・)。