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卒業生より
-ジンくん-

ハイスクール みづきさん

中3の冬から高3卒業まで学びの森に通学。その後、大学に進学。

みなさまへ

はじめまして、ジンです。もともと、この自分史は小論文として書いたつもりの物でした。ですが、「HPに載せないか?」とお声を頂いたので、少し編集して掲載させてもらいました。僕がこの学びの森で経験した中の極僅かな経験しか語られていませんが、私の自分史を読んで頂ければ幸いです。
自分史

〜 不登校生に必要な環境は何か。 〜

1. 居場所がなかった中学時代

中学生の頃、学校という勉強の場は私にとって居場所ではなかった。

当時の私にとって学びは大切だが求めていることではなかった。私にとって学びは単に、何かを得る、何かを成し遂げるために必要な手段であった。しかし、教師は私に「なぜ、なんのために」を問わず勉強することを押し付けた。また、学校にいる生徒と友達になる気はなかった。なぜなら、私は学校を居場所だと感じられなかったからだ。

そして、私は暇であること、孤独であることを嫌がり、そうならないためにどうすればいいのかばかり考えていた。インターネット(YouTube、ネットサーフィン)やTV、映画、友人との交流などは生活に活気と充実感を与えてくれるものであった。しかし、私はインターネットでの友人関係や「コミュニティ」の形成、参加は視野になかった。なぜなら、インターネットという仮想空間にいる友人より、私は現実世界で直接行動を共にする友人を求めていたからだ。

私は学校へ行かなくなり、家でインターネットをするかTVや映画を見るか、友人と遊びに出かけるか、などの生活を送るようになった。それからしばらくした頃、母は学校へ行かない日はインターネットを切断するとルールを決めた。私は学校に通うか、家で、暇な、そして孤独な生活を送るか、を迫られた。それはどちらも辛い日々であることには違いなかった。

そうなれば私にとっての居場所は地域の友人との関係以外にはない。しかし、私に友人は一人しか居なかった。地域では私や友人のような学校に行っていない人と接する機会や「コミュニティ」もなかった。

そんな中で、私はより一層、自分が安心して日々の生活を充実させられる友人関係を求めるようになっていった。だから、学びの森というコミュニティに所属しようと決意したのだった。

2. 「学びの森」で得た人間関係が、私の居場所になった

「学びの森」に通い始めることによって、生活は徐々に活気づいてきた。それは、私がそこでインターネットやその他の娯楽の機会を得るようになったからだけではなく、何よりも「学びの森」で得た人間関係の存在が私の居場所となったからだ。

「学びの森」では、普段は個人学習やゼミのような複数人での学習がメインだ。そのほかにゼミの延長で、「東九条マダン」への参加や、グループごとの校外学習のプレゼン発表、生徒主体の一般の人々との対話型イベント「フォーラム」の企画、準備など様々な活動をした。また、外遊び、語り場、出会いの場というような時間もあった。

※東九条マダン…多くの在日韓国・朝鮮人が住む京都市南区の東九条地域で開催される祭り。多文化共生をアイデンティティとする。

また、「学びの森」では、体験で「学びの森」を訪れた人が生徒と交流する機会を作るなど、新しいメンバーが場に馴染めるような工夫をしている。なかには、積極的に新しいメンバーと交流したり、他の生徒との交流の機会を与えてくれたりする生徒もいた。その結果、初めて学びの森に来る人の緊張や不安を少しでも取り除くことができていたと思う。

私が初めて「学びの森」に来たときは生徒のYくんが積極的に話しかけてくれたことから、私も物怖じせず、気軽に他の生徒や先生と話やその他の交流も進めることができた経験がある。

そのことも踏まえて、こうした「学びの森」の環境には、生徒同士の交流を深める効果を持つ条件が豊富にあった。そのような自分が安心して気兼ねなく居られる環境は、勉学やその他の活動においても良い環境だと認識している。

3. 対話や議論による勉強と出会い、そこから得た3つのこと

私は学校で納得のいかない教育を受けさせられた事によって、勉強(座学)に対して極度の苦手意識を持ち、自分を過小評価していた。しかし、私は「学びの森」での勉強を通じて自分への評価と“勉強の気づき”を得た。それは、勉強は座学だけではないということだ。座学も大事だが議論や対話による勉強もあることを知った。また、そのことに気づいたことで座学と対話、議論はどれも欠かすことができないのだと理解した。

私は「学びの森」で様々な勉強をしたことで3つのことを得た。1つ目は、普段のゼミや週一回の思考のワークショップを続けたことで「読解力や、論理的にものを考え表現する力」を得た。2つ目は、フォーラムを企画したことで「自分は何が得意で苦手なのかを理解すること」を得た。3つ目は、東九条マダンやその地域の人たちと関わることで「自分の知らない世界(未知の世界)への興味と、人々との出会いの重要性」を得た。

私が得たこの3つは自分のアイデンティティを確立し、物の考え方を構成する大事な要素になった。具体的に説明すると、1つ目は「対話、議論」をする上で、論理的に読み、書くことの大切さ、を前提として考えるようになったということ。2つ目は「対話、議論」するときに自分の得意なこと(意見を出す、物事を考えること)を理解しているから、物怖じせず発言できるようになったこと。3つ目はマジョリティとマイノリティの問題、差別などの問題を考えるようになったこと。この問題を考えた事によって、私は常にそのことを意識して「対話、議論」するようになった。

4. 大学に行く理由が「やりたいことをするため」に変わった

しかし、私は「対話、議論」をする中で決定的に重要なことがあると自覚させられた。それは、知識だ。少し具体的な話をさせてもらう。

私が大学に行くキッカケとなったのはある本との出会いだ。私にとって、それまで大学に行くのは就職のときに有利になる学歴(偏差値の高い学校)がほしいからだった。しかし、先生から学歴を求めて大学に行くためには、私の場合、浪人しないと時間的に厳しいこと、偏差値の高い大学に行けたとして楽しいかどうかは行ってみないとわからないことを告げられた。当たり前のことだが、私にとって「大学に行く」=「就職に有利になる」としか考えて来なかったから、自分が大学に行って何をするのか、どう過ごすのかは考えたことがなかった。

しかし、そのことを告げられてから考えが変わった。「大学に行く」=「やりたいことをする」に変わったのだ。それからしばらくして、先生がある大学を勧めてくれた。そこの大学はいわゆるFランクと言われる偏差値の低い大学だった。しかし、案内パンフレットを読んだとき、その大学の教授の言葉が私の目を引いた。そのことがキッカケで教授の著作を読んだ。その本を読んだことで私はその教授のもとで学びたい、“知識を得たい”と強く思った。なぜなら、私の中にあるモヤモヤの原因がその本を読むことで知識として得られたからだ。具体的には、自分の生まれ育った環境(貧困)や不登校の経験、東九条で知った差別、貧困問題などの「マイノリティが抱えた問題」と、本で書かれている、一見、関係の無い様な問題が結びついたのだ。そうしたことこそが、知識を得ることだと私は実感した。

5. 勉強する環境がモチベーションにつながる

そのような経験から、今まで苦手だった座学的な勉強も今の自分には必要だと感じた。しかし、必要だと感じたがそのような座学的な勉強もなかなか手に付かない日々が続いた。なぜなら、あまりにも苦手意識が強く、やり始めることが困難だったからだ。そんな中、私は自分が決して少しも座学をしてこなかった訳ではない、ということに気づいた。ではなぜ、少しでも座学ができていたのか。それは、「学びの森」では、一人で勉強をしているという感覚ではなかったからだ。勉強をする1コマに自分以外の友人やその他の生徒も、課題は違うが各々に勉強をしていたから、その姿や気迫に自分も感化されて座学をしていたのだと思い出した。勉強をする環境がモチベーションに大きく繋がると実感した。だから、私は勉強をするときはできるだけ友人などと一緒にすることを意識するようになった。

私は「学びの森」という環境で大きな変化や新たな発見を得た。その経験の中で、自分が「コミュニティ」で成長する上で一番必要だったことは「自分が安心できて、そこが自分の居場所と認識できるような環境」であると考える。そうした場が地域に多く存在することが必要だ。そして、私はそもそも学校がそのような場になることが一番望ましいと考える。