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日誌

他者としての私

他者としての私はもうこれ以上自分の物語を描けない状態でやって来る子どもたちを前に、何ができるのかをいつも考えます。


そして私にできる究極のことは、ただ彼らのそばに寄り添うことだと思うようになりました。
これが、簡単なようでなかなか難しい。離れすぎてもいけないし近づきすぎてもいけない。与えすぎてもダメだしそっと見守るだけでもいけない。
彼らを包み込みながらも凛とした姿で立ち続け、冗談を言いながらも道を説く。そんな姿が、私の理想かもしれないと考えるようになりました。
つまり、私自身の中に対極に位置する2つの軸を置き、その軸の間に面を作り出しその面の中を絶えず移動しながら子どもたちとの同期を図るといった関わり方を、複数の位相の中で実現しているのかもしれません。すると私と子どもたちの動きのとの間にある種の連動性が生じ、互いの影響度が増し、子どもたちは私を媒介として主体的に社会を見つめ、自分自身を問い直していけるようになるんだと思います。