今年の抱負
私はもともと「学ぶ」ということが何なのか?という問いを通して、教育の世界に足を踏み入れました。それは、当時の学校教育に対しての疑問からのスタートでした。
たまたま、短期記憶にたけていた子どもの頃は、テスト前に一気にいろんなことが暗記でき、そのおかげでいい成績を取ることができました。しかし、覚えては次々と忘れていく学習のあり方そのものに疑問を持ち始めるようになってからは、ほとんどそんなことが無意味なことのように思え、次第に勉強しなくなっていったのです。それは、ちょうど私が16歳になった頃のことでした。
それから私はずっと「学び」とは何か?ということを考え続けてきたのかもしれません。そんな中であることに気づきます。それは「学び」ということの唯一の証が「変わる」ということだ、ということです。私があることを学べたかどうかは、私の生活がどう変わるかによって証明される。つまりここで言う「学び」とは、私自身の生活、あるいはその人生と決して切り離されるものではないということでした。
深い学びは、深い変化をもたらします。私はこれを「変容」と呼んできました。変容は、「蛹」(さなぎ)に象徴されます。それは、まるで止まったかのように見える世界なのですが、そこではそれまでの青虫の身体を作っていた細胞が次々と死んでいき、それにかわって蝶の身体を作る細胞が新しく生まれていくという。「死と再生」のテーマが繰り広げられていきます。まさに「生まれるために死んでいく」という大きな変化がそこにあるのです。私はこの大きな変化のことを「変容」と呼び、これが深い学びの証であると考えるのです。また「変容」は、時としてドラマとして表現されます。大きな変化は、その人の人生の文脈を動かすからです。そしてこのドラマがコトバによって語られる時、それは感動を伴いながら他者へと共有され、他者の変容をも促すことがわかります。
私は、これからもそんな若者たちの「変容」にどこまでも関わっていたいと思っています。なぜなら、今のような不透明な時代においては、個人を取り巻く状況がどんどん変化していく可能性が高く、その変化に対応しながら、自分の生き方のしっかりした軸を構築し、自己実現に向かわなくてはならないからです。そのためには、絶えず自己更新を試み自分を変容させていく必要があるからです。私はその変容を促す他者の関わり、そして場のあり方に強い関心を持っています。「変容」は決して自分一人では起こり得ません。そこには自分とは違った視点がいるからです。その視点は他者によってもたらされます。複数の視点をおいたときに、そこに初めて変容に向かう動きが起ります。それはもう一つの視点が人に俯瞰性を与え、冷静に自分自身の行動やその方向性を見つめ直させてくれるからです。このことを「省察的視野」とも呼ばれています。省察的視野は、それまで誰かのせいにしていた問題を解決するための糸口を自分自身に向かわせてくれます。そうなると自分を取り巻くさまざまな問題は、新しい自分を作っていくための大切な動機となります。まさにこのことが、私が普段から口にしている「機会開発」なのです。そしてこの視点を手に入れることで、変容はますます活性化されていくのです。
あとは変容を促す場の存在です。「変容」を考える時、場は極めて重要です。場には多くの思いや意味が埋め込まれており、人はそれらを身体を通して感じることができるからです。日本人は、本来このことに関する高い感性を備えてます。しかし一方で消費的な文化は、その感性を鈍らせてきました。これは私たちの文化の大きな損失であり危機だと、私は考えています。だからこそ、コトバを介さず直接身体へと働きかける「場」の存在をもっと重視すべきだと考えています。
変容を促す「他者の関わり」とそこにおける「場の持つ働き」。このテーマが、私自身のこれからの大事な方向性になっていくと思っています。そしてさらにこのことは、日本だけでなく、欧米、あるいはアジア諸国など、多くのポストモダンへと向かう社会が共通して抱えるテーマでもあると思っています。なぜならここを克服していかないと、このような不透明な状況の中で個人が自己実現していくことそのものが困難になるからです。個人の自己実現は、社会システムの更新だけでは不可能であり、それは、個人が自己更新を可能とする「変容」の姿勢を身につけることで実現すると考えているのです。
2000年にスタートしたアウラの新しい学びの世界への試みは、ここにきてようやく一つの明確な方向性を見いだしてきたように思っています。今年もきっとまた次々と起こりくる子どもたちのドラマやスタッフたちのドラマ。そんな日々の実践の中から紡がれていく理論。そうした知恵を、私は文科省や京都府を始めとした行政機関、そして大学との共同研究をおこなうことで社会へと還元したいと思っています。
さあ2014年が始まりました。時間はいつも前にしか進んでくれません。「学び」とは何か?その答えの出ない問いを、これからも私は追いかけていくしかないのでしょうね。
たまたま、短期記憶にたけていた子どもの頃は、テスト前に一気にいろんなことが暗記でき、そのおかげでいい成績を取ることができました。しかし、覚えては次々と忘れていく学習のあり方そのものに疑問を持ち始めるようになってからは、ほとんどそんなことが無意味なことのように思え、次第に勉強しなくなっていったのです。それは、ちょうど私が16歳になった頃のことでした。
それから私はずっと「学び」とは何か?ということを考え続けてきたのかもしれません。そんな中であることに気づきます。それは「学び」ということの唯一の証が「変わる」ということだ、ということです。私があることを学べたかどうかは、私の生活がどう変わるかによって証明される。つまりここで言う「学び」とは、私自身の生活、あるいはその人生と決して切り離されるものではないということでした。
深い学びは、深い変化をもたらします。私はこれを「変容」と呼んできました。変容は、「蛹」(さなぎ)に象徴されます。それは、まるで止まったかのように見える世界なのですが、そこではそれまでの青虫の身体を作っていた細胞が次々と死んでいき、それにかわって蝶の身体を作る細胞が新しく生まれていくという。「死と再生」のテーマが繰り広げられていきます。まさに「生まれるために死んでいく」という大きな変化がそこにあるのです。私はこの大きな変化のことを「変容」と呼び、これが深い学びの証であると考えるのです。また「変容」は、時としてドラマとして表現されます。大きな変化は、その人の人生の文脈を動かすからです。そしてこのドラマがコトバによって語られる時、それは感動を伴いながら他者へと共有され、他者の変容をも促すことがわかります。
私は、これからもそんな若者たちの「変容」にどこまでも関わっていたいと思っています。なぜなら、今のような不透明な時代においては、個人を取り巻く状況がどんどん変化していく可能性が高く、その変化に対応しながら、自分の生き方のしっかりした軸を構築し、自己実現に向かわなくてはならないからです。そのためには、絶えず自己更新を試み自分を変容させていく必要があるからです。私はその変容を促す他者の関わり、そして場のあり方に強い関心を持っています。「変容」は決して自分一人では起こり得ません。そこには自分とは違った視点がいるからです。その視点は他者によってもたらされます。複数の視点をおいたときに、そこに初めて変容に向かう動きが起ります。それはもう一つの視点が人に俯瞰性を与え、冷静に自分自身の行動やその方向性を見つめ直させてくれるからです。このことを「省察的視野」とも呼ばれています。省察的視野は、それまで誰かのせいにしていた問題を解決するための糸口を自分自身に向かわせてくれます。そうなると自分を取り巻くさまざまな問題は、新しい自分を作っていくための大切な動機となります。まさにこのことが、私が普段から口にしている「機会開発」なのです。そしてこの視点を手に入れることで、変容はますます活性化されていくのです。
あとは変容を促す場の存在です。「変容」を考える時、場は極めて重要です。場には多くの思いや意味が埋め込まれており、人はそれらを身体を通して感じることができるからです。日本人は、本来このことに関する高い感性を備えてます。しかし一方で消費的な文化は、その感性を鈍らせてきました。これは私たちの文化の大きな損失であり危機だと、私は考えています。だからこそ、コトバを介さず直接身体へと働きかける「場」の存在をもっと重視すべきだと考えています。
変容を促す「他者の関わり」とそこにおける「場の持つ働き」。このテーマが、私自身のこれからの大事な方向性になっていくと思っています。そしてさらにこのことは、日本だけでなく、欧米、あるいはアジア諸国など、多くのポストモダンへと向かう社会が共通して抱えるテーマでもあると思っています。なぜならここを克服していかないと、このような不透明な状況の中で個人が自己実現していくことそのものが困難になるからです。個人の自己実現は、社会システムの更新だけでは不可能であり、それは、個人が自己更新を可能とする「変容」の姿勢を身につけることで実現すると考えているのです。
2000年にスタートしたアウラの新しい学びの世界への試みは、ここにきてようやく一つの明確な方向性を見いだしてきたように思っています。今年もきっとまた次々と起こりくる子どもたちのドラマやスタッフたちのドラマ。そんな日々の実践の中から紡がれていく理論。そうした知恵を、私は文科省や京都府を始めとした行政機関、そして大学との共同研究をおこなうことで社会へと還元したいと思っています。
さあ2014年が始まりました。時間はいつも前にしか進んでくれません。「学び」とは何か?その答えの出ない問いを、これからも私は追いかけていくしかないのでしょうね。