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日誌

半年前は病気だった

「僕、半年前は病気だったんです・・・」
そう新聞記者の取材に答えていたのは、小6のユキオでした。


「僕は、”自律性調節障害”って言われていて
薬がないと生活できない状態だったんです。
学校でいろんないじめがあってイライラきて
家でもお母さんともめて、そのうち体調が極端に悪くなってきて
家からも出れなくなっていったんです。
それでお医者さんにつけてもらった病名が、
“自律性調節障害”
正直、ほんのちょっぴり安心しました。
この苦しさが正式に認められた気がしました」
その日、フリースクールに京都市内から通っている生徒たちの声を拾いたいという記者の思いに
ユキオはしっかりと答えてくれたのです。
「学校に行っていた時は、本当に苦しかった。
僕なりに1年間は、我慢したんですが、
限界に来たんでしょう。
だんだん身体が悲鳴を上げ始めました。
そして病院に行って初めて、学校へ行かないことが認めらた感じです」
「家から出れなかったのに、どうして亀岡まで1時間もかけて行けたの?」
「それは自分でもわかりません。
あれだけ、視線が怖かったのにだんだん大丈夫になっていくんです。
勉強もできるようになりました。
私立中学にも合格でき、僕なりに自信がついてきたように思います」
その記者は考え込んでいました。
どうしてなんだろう?
どうしてそんな変化が起こるんだろう?
どうして、京都市内から1時間もかけてわざわざ亀岡まで来るんだろう?
?????
私からすれば、
子どもたちは、まず若いということがあります。
若いから変化のノビシロがある。
そのノビシロをどこまで引き出せるかが教育の質ということになります。
すなわち私たちの腕の見せ所です。
「おいしいラーメンがあれば、電車に乗って食べにくるでしょ?
フリースクールもいっしょです。
知誠館にしかない教育を誰かが求めれば、
それはどんなに遠くてもやってくるんでしょうね」
私は笑いながらその記者に答えていました。
後日、記者はユキオのお母さんに電話インタビューをしたそうです。
その内容は次のようなことだったそうです。
「ユキオがここまで変わったのは奇跡だって思っています。
半年前は、この子が受験して自分の行きたい学校に行くことなって
考えてもいませんでした。
考えることすらできない状態だったんです。
でも、あの子はみるみる変わっていきました。
何がそうさせたのか
ひょっとすると、その具体的なことは特にないのかもしれません。
知誠館の活動全体が、あの子を動かしたんでしょうね。
そんな場所を、私たちは探していたんです。
自分の子どもの可能性を信じて、
変わってくれる場所が必ずあるって思ってたんです
知誠館は、そんな中で見つけた場所だったんです」
諦めないこと
子どもの変化を信じていくこと
そこから答えが見つかります。
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