「思考」のためのワークショップ
これまで広告・絵画・文章という媒介を通して、生徒たちと一緒に学んできた『現代文ゼミ』は、このたび『「思考」のためのワークショップ』とその名を変えて進んでいくことになりました。
今回のワークショップでは、これまで培ってきた論理的思考や他者に伝える技術を活用して簡単な「ディベート」を行いました。
そのテーマは「小学校で生命(いのち)の教育を実施することに賛成か反対か」でした。
そもそも、なぜこの授業が必要だと考えられたのか?という問いからスタートし、賛成派と反対派に分かれてディベートをします。
これまでは自由に発言ができていましたが、今回は「賛成」か「反対」かの立ち位置が決められています。
ですので、たとえ心の中では「賛成」と思っていても、「反対」であることの根拠を客観的に述べなければなりません。
これがなかなか簡単なようでできない…。
そして、私が難しかったのは、相手の反論のさらなる反論を考えるということでした。また、この自分の意見に対して、確かな裏付けをくっつけることもまた難しいことでした。
議論には生徒らしい視点がたくさん盛り込まれていました。
中でも、賛成派が出した「実際に命に触れるという体験こそ大事なので、それを目指すためにも授業は必要だ」という意見と「どんな体験をしても、個人がその体験に対して「学び」という意味づけをしないとダメなのでは?」という意見が対立したことでした。
このワークショップでの経験は生徒たちにとってどのような意味づけになるのでしょうか?
これからも楽しみです。
今回のワークショップでは、これまで培ってきた論理的思考や他者に伝える技術を活用して簡単な「ディベート」を行いました。
そのテーマは「小学校で生命(いのち)の教育を実施することに賛成か反対か」でした。
そもそも、なぜこの授業が必要だと考えられたのか?という問いからスタートし、賛成派と反対派に分かれてディベートをします。
これまでは自由に発言ができていましたが、今回は「賛成」か「反対」かの立ち位置が決められています。
ですので、たとえ心の中では「賛成」と思っていても、「反対」であることの根拠を客観的に述べなければなりません。
これがなかなか簡単なようでできない…。
そして、私が難しかったのは、相手の反論のさらなる反論を考えるということでした。また、この自分の意見に対して、確かな裏付けをくっつけることもまた難しいことでした。
議論には生徒らしい視点がたくさん盛り込まれていました。
中でも、賛成派が出した「実際に命に触れるという体験こそ大事なので、それを目指すためにも授業は必要だ」という意見と「どんな体験をしても、個人がその体験に対して「学び」という意味づけをしないとダメなのでは?」という意見が対立したことでした。
このワークショップでの経験は生徒たちにとってどのような意味づけになるのでしょうか?
これからも楽しみです。