不登校の子どもでこんなに学力を伸ばしたケースは初めてです
そう私に言われたのは、京都市内の公立中学校の校長先生でした。この学校の出身者であったモエコは中2の時に学校へ行けなくなりました。確かそのきっかけは、クラブの先生とのトラブルだったように思います。彼女はネットから知誠館を見つけ出し、自分で資料請求をしてくるような女の子でした。
知誠館で学び始めた彼女の最初の壁は、学習そのものでした。やってもやっても定着しない。その様子に私たちは、学習障害の可能性を考えていました。中学に通学していた頃の成績はほぼオール2でしたから、そのことは十分に考えられるものでした。しかしそんなモエコの様子は、知誠館の仲間たちとの関係ができはじめてから急に変わり始めました。最初は一緒に昼食を食べるようになり、そして放課後に残って話すようになり、やがて休日は一緒に遊びに行くようにもなっていきました。そんな仲間の存在が、彼女を学びの世界へ向かわせたのです。
3年になったモエコは、英検3級にチャレンジし合格。やがて進路として私立の特進クラスに行きたいと言いはじめ、見事合格していきました。そのコースの内申基準がほぼオール4でしたから、彼女の学力の伸びは本当に見事なものだったのです。だからこそ、校長先生の驚きのコトバがあったわけです。
その後、来年高3になるモエコの進路は、4年制大学の国際関係領域の学部だそうです。「高校生活は楽しいで!」といってくれるモエコの笑顔は、後輩たちにも希望を与えています。
知誠館で学び始めた彼女の最初の壁は、学習そのものでした。やってもやっても定着しない。その様子に私たちは、学習障害の可能性を考えていました。中学に通学していた頃の成績はほぼオール2でしたから、そのことは十分に考えられるものでした。しかしそんなモエコの様子は、知誠館の仲間たちとの関係ができはじめてから急に変わり始めました。最初は一緒に昼食を食べるようになり、そして放課後に残って話すようになり、やがて休日は一緒に遊びに行くようにもなっていきました。そんな仲間の存在が、彼女を学びの世界へ向かわせたのです。
3年になったモエコは、英検3級にチャレンジし合格。やがて進路として私立の特進クラスに行きたいと言いはじめ、見事合格していきました。そのコースの内申基準がほぼオール4でしたから、彼女の学力の伸びは本当に見事なものだったのです。だからこそ、校長先生の驚きのコトバがあったわけです。
その後、来年高3になるモエコの進路は、4年制大学の国際関係領域の学部だそうです。「高校生活は楽しいで!」といってくれるモエコの笑顔は、後輩たちにも希望を与えています。
※プライバシーに配慮するため、文中に登場する事例はすべて仮名とし、状況に応じて加工が施されております。