不登校の若者って・・・
京都市内の大学院に所属する学生が、知誠館にやってきました。
彼の最大の興味関心は、「どうしてここ知誠館では、不登校やひきこもりの若者たちが、意欲的に学習できるのか?」というものでした。
臨床心理を専攻する彼が、大学院で学んだ不登校やひきこもりの若者像。
それは「学習に対して消極的で、学習に向かわせることがとても難しい」ことがその前提となっていて、だからこそ、その問題に対していろんな支援策があることを彼らは大学院で学ぶわけです。
ところがここ知誠館では、不登校やひきこもりの若者たちがその前提を覆すかのように、よく学んでいるわけです。どうしてなのか、彼にとってはそこが合点の行かないポイントでもあったわけです。
しばらく私たちは、二人で話した後、知誠館の生徒たちにもこの話し合いに参加してもらうことにしました。高校生を中心に、4名の不登校やひきこもりを経験した生徒たちが来てくれました。
彼らはこの大学院生の質問に答えながらも、逆にこんな質問を投げ返していました。
「勉強するって、どういう意味だと考えていますか?」
「勉強することと、学ぶということはどう違うのでしょう?」
「学校へ通い続けて、勉強することに対して疑問を抱かなかったですが?」
「みんな同じことを学ぶことについて、違和感なかったですか?」
院生は、戸惑っていました。消極的で意欲がないはずの不登校やひきこもりの若者たちに、今度は自分が問われている。しかも、そう簡単に答えられない問いばかり。
彼の中で、不登校やひきこもりに対するイメージが壊されていった瞬間でした。
「作られていった不登校やひきこもり」
っていうことを考えることがあります。私たちは彼らに対して、あるイメージを持ってしまっているのではないでしょうか?
そしてそのイメージの中に彼ら自身が押し込められていってしまう。
これは、「ラベリング」といわれる現象です。H.ベッカーによって定義づけられました。
不登校やひきこもりの若者たちが、社会のイメージによって方向づけられていく現象です。
知誠館では、そのイメージを一旦解き放っていきます。
そうしないと、大きな変容が生じていかないからです。
知誠館の生徒たちが、学校へ通う子どもたち以上に学んでいくのは、このことがあるからでしょう。
この大学院生にとっては、今回の体験がとても大きかったようで、この体験がきっかけとなって修士論文の構成が少し変わってきたようです。大学院で学んできたモノがいったん壊され、再構築されていく、まさにそんな素敵な体験の入り口でもあったのかもしれませんね。
彼の最大の興味関心は、「どうしてここ知誠館では、不登校やひきこもりの若者たちが、意欲的に学習できるのか?」というものでした。
臨床心理を専攻する彼が、大学院で学んだ不登校やひきこもりの若者像。
それは「学習に対して消極的で、学習に向かわせることがとても難しい」ことがその前提となっていて、だからこそ、その問題に対していろんな支援策があることを彼らは大学院で学ぶわけです。
ところがここ知誠館では、不登校やひきこもりの若者たちがその前提を覆すかのように、よく学んでいるわけです。どうしてなのか、彼にとってはそこが合点の行かないポイントでもあったわけです。
しばらく私たちは、二人で話した後、知誠館の生徒たちにもこの話し合いに参加してもらうことにしました。高校生を中心に、4名の不登校やひきこもりを経験した生徒たちが来てくれました。
彼らはこの大学院生の質問に答えながらも、逆にこんな質問を投げ返していました。
「勉強するって、どういう意味だと考えていますか?」
「勉強することと、学ぶということはどう違うのでしょう?」
「学校へ通い続けて、勉強することに対して疑問を抱かなかったですが?」
「みんな同じことを学ぶことについて、違和感なかったですか?」
院生は、戸惑っていました。消極的で意欲がないはずの不登校やひきこもりの若者たちに、今度は自分が問われている。しかも、そう簡単に答えられない問いばかり。
彼の中で、不登校やひきこもりに対するイメージが壊されていった瞬間でした。
「作られていった不登校やひきこもり」
っていうことを考えることがあります。私たちは彼らに対して、あるイメージを持ってしまっているのではないでしょうか?
そしてそのイメージの中に彼ら自身が押し込められていってしまう。
これは、「ラベリング」といわれる現象です。H.ベッカーによって定義づけられました。
不登校やひきこもりの若者たちが、社会のイメージによって方向づけられていく現象です。
知誠館では、そのイメージを一旦解き放っていきます。
そうしないと、大きな変容が生じていかないからです。
知誠館の生徒たちが、学校へ通う子どもたち以上に学んでいくのは、このことがあるからでしょう。
この大学院生にとっては、今回の体験がとても大きかったようで、この体験がきっかけとなって修士論文の構成が少し変わってきたようです。大学院で学んできたモノがいったん壊され、再構築されていく、まさにそんな素敵な体験の入り口でもあったのかもしれませんね。