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日誌

あー、これをひきこもりというのか…

娘がアウラに通い出したのは、
中学2年生のゴールデンウイーク明けからでした。
娘は中学1年の2学期から学校に行けなくなりました。
朝、起きれず、
布団に顔を埋めて部屋から出てこない日が続き、


あー、これを引きこもりというのか…と
毎日、泣きながら仕事をしていました。
娘の前では泣かないようにしていたので。
普通に制服を着て歩いてる中学生を見て、
何故うちの子だけ?と涙し、
女子高生を見ては、
もうあんな風になることもないんだと思い涙し、
綺麗な青空を見上げて、
あー、こんなに綺麗な空なのに、感動することももうないのか、
と思い涙していた日々が続きました。
しかし、娘も自分の将来を考えていたようで、
3年生になった4月に、郵便が届きました。
アウラの資料が入った郵便でした。
娘に聞いたら自分が取り寄せたと…。
私はすぐに電話をし、
1時間後にはアウラにいました。
娘の気が変わらないうちにと思ったからです。
塾長と話をし、
娘は普通に高校に行きたいと口にしました。
塾長は大丈夫、行けるよと言って下さいました。
娘に光が差した瞬間でした。
すぐに、一週間の体験に通い、
ゴールデンウイーク明けから本格的に通学するようになりました。
流石に最初からすんなりとはいかず、
行けない日もありましたが、
徐々に慣れていきました。
勉強をしていなかったのもあり、
小学生レベルまで遡って指導して下さいました。
普通に高校に行きたいと言う思いを貫き、
先生方に助けられ、
無事に高校に合格しました。
今は3年生、大学受験真っ只中です。
アウラでは、友達も出来て、
卒業した今も交流が続いています。
同じように心に傷を負った者同士、
励まし、励まされ刺激し合ってるようです。
アウラで卒業式をして下さいました。
その時の塾長の話で、人生、遠回りはない、
アウラに通うことになったのは必然だったんでしょう。
これからの人生において、すごく自信に繋がるでしょうと。

確かに、あのまま普通に中学校に通っていても、
今ほど勉強してなかったと思うし、
今はアウラに通って良かったと思っています。
アウラに通う前は将来の不安ばかりで毎日、
出口の見えないトンネルの中にいました。
アウラに出会って出口の光が見え、
その光に向かって進んで行った。
そして今がある。
アウラで出会って先生方、お友達、全ての方に感謝です。