大きな物語と小さな物語
私の知人から、文科省に提出した小冊子『自己変容を伴う不登校生徒のキャリア形成』に寄せた感想が届きました。その中に書かれていたキーワード。それがこの〈大きな物語〉と〈小さな物語〉(自分の物語)というコトバでした。
私たちは、社会によって描かれた学校を出て、仕事をし、やがて福祉的支援を受ける。
この時の私たちの人生は、大きな意味で社会に管理されているのかもしれません。
これを彼は、〈大きな物語〉と呼ぶのです。
そして、彼の論点は、この〈大きな物語〉に沿って生きることが、必ずしも豊かな〈小さな物語〉を描くことにつながらないのではないかというものでした。
私たちは〈大きな物語〉から逸脱することで、不安やリスクを背負うことになります。
まさにそれは、不登校になってしまった子どもたちが抱えている状況でもあります。
そしてこの不安やリスクが、彼らの〈小さな物語〉さえも奪い去っていくのです。
私たちの活動は、不登校の子どもたちの〈小さな物語〉を育てることにあると言えるかもしれません。
〈大きな物語〉から逸脱したからこそ育つ物語があることを実感してもらうことなのかもしれません。
私たちは、社会によって描かれた学校を出て、仕事をし、やがて福祉的支援を受ける。
この時の私たちの人生は、大きな意味で社会に管理されているのかもしれません。
これを彼は、〈大きな物語〉と呼ぶのです。
そして、彼の論点は、この〈大きな物語〉に沿って生きることが、必ずしも豊かな〈小さな物語〉を描くことにつながらないのではないかというものでした。
私たちは〈大きな物語〉から逸脱することで、不安やリスクを背負うことになります。
まさにそれは、不登校になってしまった子どもたちが抱えている状況でもあります。
そしてこの不安やリスクが、彼らの〈小さな物語〉さえも奪い去っていくのです。
私たちの活動は、不登校の子どもたちの〈小さな物語〉を育てることにあると言えるかもしれません。
〈大きな物語〉から逸脱したからこそ育つ物語があることを実感してもらうことなのかもしれません。