ぶつかると越える
どうも、学びの森のキノシタです。
サイエンスの講座や映像の講座、そして保護者面談の準備と、ここ数週間ドタバタ続き…。
ブログを更新できておらず申し訳ありませんでした。
久しぶりの投稿は映像の講座の一コマから。
実は先週から、各グループの撮影が始まっています。
この間、こんな映像を撮りたい!という頭の中にあるイメージを
①企画書、ログライン
②脚本
③絵コンテ、リハーサル
と、話し合いを重ねながら少しずつ具体化してきました。
そしていよいよ④撮影のステージへ。
カメラ準備OK!よーい、スタート!!・・・・・・カット!!!
今までグループで共有してきたイメージが「映像」という形でどんどん具体化されていきます。
脚本の流れ通りに撮影をしていったので、余計に自分たちのイメージが「作品」になっていくプロセスを実感することができました。
このプロセスの楽しさは、今までの比ではありません!
僕もその場にいて(実は出演もしています笑)、みんなでつくりあげている感を味わわせてもらいました。
そんな中、今日は最後のグループの撮影日でした。
朝教室にやってきた生徒を見ていると、主演の男の子が来ていないことに気が付きました。
もしや風邪?!撮影できる?!と一抹の不安がよぎったそのとき、お母さんから電話が。
話を伺うと、演技をする+作品を見られるのが嫌だと。
今までの講座の様子からは想像できない話でびっくりしましたが、これまでグループでやってきたこともあるので、何らかの形で撮影に関わる方法を本人や他のメンバーと話し合って一緒に考えたいと伝え、お母さんにもう一度話を聴いてもらうことに。
本人も映画という形にしたいという想いはあったようで、昼からきて話し合いに参加してくれました。
撮影の日が近づくごとに、上手に演じられるか、見られたときに周りがどんな反応をするかが不安になり、ちょっとずつ出るのが嫌になってきたというAくん。
その気持ちをメンバーも講師の田中さんも受け止めながら、一人ひとり今の気持ちを伝え合いました。
田中:僕も撮るのは好きだけど、撮られるのは苦手だからAくんの気持ちはすごくわかる。
僕:僕もそれは思うけど、それぞれが本人役で出るっていうのもあるし、やっぱりAくんじゃないと作品が成り立たないと思う。
B:僕もちょっと恥ずかしいけど、やっぱりAくんと一緒にこの映画に出たい。
A:うーん…。カメラマンとしてならできるけど、出るのはやっぱり嫌っていう気持ちが大きい。
田中:誰かに見られるのが嫌なら、このメンバーの中だけで見ることもできるよ?
B:誰かに反応は不安になるけど、すごいってなったら嬉しいと思うで?
A:・・・。
僕は普段のAくんも鑑みて、苦手なことや嫌なことを避けたいのであれば、作品にならなかったという結果を引き受けるだけのことで、そういう経験から「次はこうしたい!」などの意志が出てくることも一つの学びだし、敢えて「カメラマンだけやってみる」という提案はしないほうが良いのでは?と考えていました。
でもBくんと田中さんは、「まずは撮影してみよう!撮影してたら楽しくなって出たくなるかもしれんし、外に出てみよう!」と声をかけたんです。
それを聞いて、あ、そうか、別に話し合ってばっかりじゃなくて、外出てみないと始まらんよな、
というかこの状況を避けて、作品にしようとしていないのは実は僕のほうかもしれないな、と気づかされました。
カメラを持って公園に行き、Aくんが出ないシーンの撮影を始めると、みるみるうちに表情が明るくなるAくん。
「ここは声だけで出るわ!」と言いだしたかと思いきや「もうあと全部出るわ!」と言って、最後まで出演しきりました。
その姿を見て、改めて今回の自分のアプローチは違っていたと反省しました。
きっとBくんや田中さんは、Aくんの意志や撮影の楽しさを信じる気持ちが僕より大きかったんだと思います。
僕は、壁にぶつかって学ぶこと、ぶつからないと学べないことがあると思っています。
でも今回はそれ以上に、楽しさや他者の存在があることで壁を越えられた「しなやかさ」というか「優しく軽やかな感じ」が大事だなと思いました。
「ぶつかる」と「越える」
その違いにもっと敏感で在りたいと思った一コマでした。
さぁ、残すは⑤編集のみ!
みんな良い作品つくろうー!
では、また~