”物語”と”ハルマチスイカ”
どうも、学びの森のキノシタです。
今日は<語り場>という活動がありました。
学びの森では「物語る/物語」というキーワードをよく使います。
人は誰しも、生きていると色んなことを経験します。外部からの情報に常にさらされているので、経験させられていると言うべきかもしれません。
その経験を振り返って編集し、自分の中で「意味」をつくること/つくった「意味」が「物語る/物語」だと、僕は考えています。
この「意味」をつくるプロセスって、すごく大切だと思うんです。
自分今までやってきたこと、今していること、これからしたいこと。
その意味は何かを考え、つくっていくこと、それを他者に表現することの連続こそが、学ぶことや生きることだと思うからです。
<語り場>は一人の生徒と対話をしながらそのプロセスを一緒に歩むこと、またそれを他の生徒と共有することを目的とした活動です。
今回は小学3年生のAくんに協力してもらい、<語り場>をおこないました。
Aくんは今8歳。←若すぎ
でもあなどるなかれ、その8年間にもたくさんの物語が詰まっていました。
僕が印象的だったのは、Aくんが小学校に行きたくなくなった理由を語ったときのことです。
僕や参加者との対話の中で語られたので、編集すると以下の通り。
お母さんと一緒にフリースクール探してて、行けなくなった理由を僕の代わりに色々考えて説明してたときに「文化祭のストレスで…」って言ってて「あ、それや!」ってなったことがあってん。
それまでは行きたくない理由は自分でも説明できなかったけど、スッとそれが自分の中に入ってきてん。
でも、いつの間にかその理由は変わって…。
嫌やなぁと思ってた子たちに、絵が下手やって言われて、すごいショックやってん。
それからまた別の嫌な子たちに、お前はサルやって言われて、それでもう行くのが嫌になった。
でも、行きたくなくなった理由は、そのときは学校の先生にもお母さんとかお父さんには言えへんかったなぁ。
それまでは行きたくない理由は自分でも説明できなかったし、思い出すのが嫌やったんやと思う。
ここに「物語る/物語」プロセスや大事な要素がたくさん含まれていると思いました。
学校に行けなくなったことに対して、自分の中には混沌としたものがあった。
そこに他者の代弁があり、混沌としたものを整理して物語る言葉を得た。
でもそれも実は借り物で、その後の経験もあって、少しずつ過去の経験を自分自身で振り返りながら物語を再構築した。
決してこんな整然とした順番ではなかっただろうし、僕の勝手な推測かもしれません。
でもAくんの物語には、何度もこうしたプロセスを反芻した”重み”がありました。
その証拠に、参加者もそれを大切にしようという雰囲気で聴いていました。
<語り場>は物語る人だけではなく、それを共有した人にも同じようなプロセスが反芻されるんだと思います。
聴いていた側の頭の中はわかりませんが、もしかしたら自分に引き付けて、自分の物語を更新しようとしていた人もいるかもしれません。
こうやって、誰かの物語はまた別の誰かの物語になっていく。その意味で、誰かの物語は決してその人だけの物語ではないんだと思います。
僕がこの<語り場>の相手役?になるのは実は今日が初めて。
今後は色々と試行錯誤しながら、色んな意味をつくっていけたらいいなと思います。
そして今日は<語り場>のあと、柳さんがハルマチで採れたスイカを持って来てくれました。
このスイカにも、Aくん同様、柳さんの物語がたくさん詰まっています。
スイカが一番好きなこと、大阪まで苗を買いに行ったときのこと、育てるときの苦労、などなど。
色んな物語を話しながらスイカを切り分けてくれました。
そういったことをぜーんぶ含めて「いただきます」ってことなんかなぁと思うと、いつもとは違う特別なスイカの味がしました。
みんなも口々に甘い!美味しい!!と言いながらスイカをむさぼっていました(8切食べた子も!)。
少しずつですが、学びの森とハルマチの物語が交差している感じがします。
生徒の中には「夏休みにハルマチ行く!」と言っている子もいるほど。
そうやって学びの森を出て、生徒たちがハルマチで描く新しい物語にも期待が膨らみますね。
Aくん、柳さん、今日はありがとうございました。
では、また~