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日誌

<運動>の時間

どうも、学びの森のキノシタです。

 

 

 

 

学びの森では昨年度から週に一度、みんなで運動する時間を設けています。

 

 

 

 

それは、身体を動かすことを通して学ぶことがたくさんあるから。

 

 

 

 

例えば、自分の身体の動かし方や、他者とのコミュニケーションなどが考えられると思います。

 

 

 

 

先日、その<運動>の時間について、生徒たちの意見を聞いてみると、新しい気づきがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段<運動>の時間では、「鬼ごっこ」や「けいどろ」、「ドッチボール」など

 

 

 

 

割と激しく身体を動かす、勝ち負けのある競技をしてきました。

 

 

 

 

生徒に感想を聞いていると、楽しかったという意見ばかりでした。

 

 

 

 

しかし、生徒の中には「実は勝ち負けのあるものはあんまり好きじゃない…」という声も出てきました。

 

 

 

 

僕はそれを聞いたときに、自分の持つ「運動」という言葉には、ある種の “偏り” があると気づかされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は「運動」という言葉には、「勝負・競争・熟達・成長」という言葉が強く結びついています。

 

 

 

 

それは昔から、いわゆる「体育会系」の部活をしてきたことや、

 

 

 

 

それらが求められる環境(家族や学校)に所属し、評価される経験を積んできたからだと思います。

 

 

 

 

その中で「勝負・競争・熟達・成長」という言葉への価値が大きくなっていきました。

 

 

 

 

だから学びの森で運動をするときに、最初からそういう競技や遊び、新しくルールを追加することを提案しがちでした。

 

 

 

 

そうしないと満足できないというか、つまらないと思う自分がいたからです。

 

 

 

 

僕は冒頭に、身体を動かすことを通じて ”自分の身体の動かし方や、他者とのコミュニケーション” が学べると書きました。

 

 

 

 

しかし、それらの前提には「勝負・競争・熟達・成長」という言葉への信奉があるのかもしれません。

 

 

 

 

それは悪いことではないと思う一方で、その価値観を無意識に押し付けてしまうことには気をつけたいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして昨日、その<運動>の時間に何をするか生徒と相談した結果…

 

 

 

 

散歩をすることに!(今年度の生徒は散歩好きみたいです)

 

 

 

 

近くの林道まで車で移動し、ゆっくり歩きながら自然を満喫しました。

 

 

 

 

学びの森の近くには生えていない草花(キノコも)を見つけたり、川のところに下りて水を触ったりしました。

 

 

 

 

 

その時間には「勝負・競争・熟達・成長」から離れた、豊かなものがありました。

 

 

 

 

色んな「運動」があっていいし、色んな「運動」の在り方を感じ、考えていきたいですね。

 

 

 

 

では、また~