謎の人物の正体
どうも、学びの森のキノシタです。
今日は以前より紹介するすると言ったまま放置してしまっていた「謎の人物」の正体を明らかにしたいと思います。
ちなみに、その人物とはコチラ↓
柳雄斗(ヤナギ ユウト)さんです。
柳さんは演劇を専門とするアーティストとして、京都嵯峨野にある高齢者向け住宅でアートプロジェクトに関わっています。
施設に架空の街『ハルマチ』をつくりだし、入居者の方と地域に住んでいる方や子どもたちとの日々のコミュニケーションを
「稽古場の風景」に見立てて、いろいろな活動をおこなっているそうです。
※詳しくはコチラのHPをご覧ください:ハルマチプロジェクト | harumachi project
今日はそんな柳さんが、学びの森の<出会い場>にやってきてくれました。
前半はご自身のライフストーリーを交えながら、なぜアーティストとして生きているのかを語ってもらいました。
小学生の頃に、友達から見た目をいじられるようになったこと
それを知った父親が学校に乗り込んできたことで、自分も変な目で見られるようになったこと
歌うのが好きだったのに、音楽の先生から歌い方が変だと指摘されたこと
みんなが同じようなレールの上を歩いていることに、違和感を感じるようになったこと
少年時代の柳さんには、こうした「生きづらさ」があったそうです。
しかし、芸術系の高校に進学することで、その「生きづらさ」から少しずつ解放されていきます。
他の人と一緒じゃなくてもいい、とんがっててもいい、こういう「自分」がいてもいい。
周囲の人たちの強烈な個性にふれることで、そう思えたそうです。
今日はその高校時代に、自分で作詞・作曲をした歌も歌ってくれました。
「自分の表現したいもの、うちにあるものを誰かに見せるのってすごく怖いことやと思う。
でも、それを出したときに、相手が受け入れてくれたときの喜びって、それを上回るものやと思う。」
そんなメッセージもこもっていた歌は、心にグッとくるものがありました。
そして、東京の大学に進学し、演劇の世界にはまっていきます。
有名な演出家が主催するワークショップで、いきなりプロの女優さんや俳優さんと演技をすることになったのがきっかけだったそうです。
大学院まで進学した柳さんには、実は苦労していることがあったそうです。
それは、自分で計画を立てるのが恐ろしく苦手だということや、何か作業をしていても興味があることに気がいってしまうことなど。
大学院の先生にそのことを相談すると、「それADHDやん」と言われたそうです。
自分ってADHDなんや、あぁ確かにこういうとこあるある…。
「ADHD」というキーワードを調べていくにつれ、自分でも確証が持てるようになっていったと言います。
柳さんの話からは、今現在に至るまで柳さんが感じてきた「生きづらさ」が垣間見られました。
でもその「生きづらさ」も、アーティストとして何かを「表現」していくときには欠かせないものだということも伝わってきました。
柳さんが現在関わっているアートプロジェクトの「ハルマチ」は、冒頭でも少し触れたように架空の街です。
柳さんはその街を、”その街に住む人が、それぞれの「生きづらさ」を受け止めつつ、少しでも和らげ合えるような街にしたい”とおっしゃっていました。
今僕自身が、あるいは生徒たち自身が感じている「生きづらさ」も、これから何かを何らかのカタチで「表現」していく際に大切なものになるんだと思います。
そんなことを考えさせられた前半でした。
そして後半は、実際に柳さんが経験してきた「身体表現」のワークショップをしてくれました。
最初の課題は、ただ「歩く」こと。
なんじゃそら?歩くだけって…いったい何をするんや…?
生徒たちの表情からは、少し不安の色が伺えました。
しかし、実際に歩いてみるとなんだかいつもと違う感じがします。
こんなにも「見られている(と感じる)」状況の中で、意識して「歩く」ことってまずありません。
一歩一歩の動作が、意識するだけでこんなにも違って感じられるのか!と新鮮な気付きがありました。
そして次に柳さんは、「今のをいつもの5分の1のスピードにしてみて」と言いました。
これが難しいのなんのって!!!!
自分でやってて笑ってしまうほどでした。
足の運びに集中しすぎると、上半身がカチコチに固まってしまって、「いつもどおり」とは程遠い歩き方になってしまいます。
こんな背筋伸びてたっけ?目線はどこ向いてた?思ってたよりお腹に力入ってるかも?足で歩くっていうよりお尻で歩いてる?
そんな自分の身体への問いがいくつも浮かんできます。
浮かんできても、答えられないのもまた面白さのひとつなのかもしれません。
頭でこうしようということが、実は全然できないんだということがわかりました。
みんなそれぞれ変な歩き方になっていて、その人じゃないみたいでした。
次は「鬼ごっこ」です。
学びの森の教室で鬼ごっこをするのは初めてでした。
まずは通常の速度で
途中からスローモーションで
これを繰り返していきます。
最初は「逃げる」か「追いかける」だけだったのが、だんだん別の動きも出てきました。
柱の後ろに「隠れる」、追いかけられている人を「邪魔する」、追いかけている途中で「こける」、鬼を「挑発する」、それに対して「ブチ切れる」…
など、バリエーションが増えてきたんです。
もうこれはみんな「演じてる」ってことなんだと思います。
学びの森という教室を舞台に、鬼ごっこをする人という配役を割り当てられると、自然と身体が反応してしまうのかもしれません。
傍から見ているのも、自分が実際その舞台に立つのも、どちらもめちゃくちゃ楽しかったです。
最後にしたのは「人間彫刻」。
ペアになって、彫刻を「つくる人」と彫刻に「される人」に分かれます。
あとは「つくる人」の思いのまま…。
僕も遠慮なくつくらせてもらいましたが、ふざけてたらあとできっちり仕返しをくらいました。
これまで何かの作品をつくるときは、粘土など「モノ」を道具にしていましたが、
今回は生身の「人間」を道具にしています。
ペアの中には、日頃から仲良く話すような関係ではない人たちもいたかもしれません。
それでも(それだから?)大胆につくることができたり、つくっていくなかでこれぐらいいいかも?となったり、
身体でコミュニケーションをしながら、その人との関係を「変化」させていくような感覚がありました。
柳さんのワークショップを通して、「身体表現」は自分一人で完結するものではなく、相手がいて初めて成り立つものなのかなと思いました。
そして表現を続けていくプロセスで、その相手との関係がどんどん変わっていく面白さがあると思いました。
また、こういう「身体」が媒介になることで、自分の中の何かがほだされていく感じもありました。
きっとそれは生徒も同じ感覚だったように思います。
というのも、学びの森に来て初めて笑顔を見せた生徒もいたからです。
これは僕にとって結構感動的な出来事でした。
やっぱり「身体」って大事なキーワードなんだと思います。
それがなぜかまでは、まだ言葉にできませんが、今後はこのキーワードを掘り下げてみたいと思います。
柳さんはこれからも関わってくださるそうなので、また一緒に面白い企画を考えれたら嬉しいですね。
では、また~