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日誌

自分らしさと、その人らしさ

皆さんこんばんは、学びの森のキノシタです。

 

 

 

 

長いようで短い夏休みが終わり、学びの森は昨日から開校しております。

 

 

 

 

生徒と久しぶりに会って思ったのは、「みんなあんまり日焼けしてない…」ということでした。

 

 

 

 

夏休みの過ごし方を聞いていても、例年とは違った過ごし方をした子が多かったようです。

 

 

 

 

大きく環境が変化する中で、自分は何を大切にしたいと思うのか?自分の周りの人は何を大切にしたいと思うのか?

 

 

 

 

僕自身、そういった「自分らしさ」や「その人らしさ」を改めて考えさせられる夏休みだったように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分らしさ」や「その人らしさ」を考える機会は、夏休み前にもありました。

 

 

 

 

そう、一人芝居・浜辺ふう版『ウリハラボジ』の公演です。

 

 

 

 

この日は朝から会場の準備をお手伝いさせてもらいました。

 

 

 

 

ふうさんやアシスタントの惠子さんの動きを見ていると、コロナ対策のためにいろんなことを考えていること、

 

 

 

 

制限された環境の中で、いかに最高のパフォーマンスをするかを考えていることが伝わってきました。

 

 

 

 

この距離で後ろの席の人見えるかな?

 

 

 

 

舞台の一番前どこにしよ?

 

 

 

 

メジャーで測ってはバミリ(印)をつけていきます。

 

 

 

 

そういった準備の一つひとつが僕にはとても新鮮で、自分が触れたことのない領域のしごとってこんなんなんか!と驚かされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

会場準備が終わった段階で、僕は学びの森へ戻りました。

 

 

 

 

生徒たちと開演の時間を待ち、いざ会場へ!

 

 

 

 

生徒たちはふうさんが演じる目の前の席です。

 

 

 

 

僕はというと・・・電気のスイッチの前!!

 

 

 

 

芝居の暗転と明転という大役を仰せつかったためです!!

 

 

 

 

正直めちゃくちゃ緊張しました。

 

 

 

 

でもそこはやればできるキノシタ。ベストなタイミングでスイッチを押すことができたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、肝心のお芝居はといいますと。

 

 

 

 

ふうさんが客席の人とやりとりをすることで、徐々に場ができあがっていくのが伝わってきました。

 

 

 

 

一人芝居ということもあってか、「今からふうさんが表現することに対峙するぞ」という感覚が、観客の中にできあがっていく感じがしました。

 

 

 

 

それはまた、ふうさんの中にも「今からこの人たちに向かって表現するぞ」という感覚ができあがっていくのと同時並行な感じがしました。

 

 

 

 

ここでもやっぱり「個人として出会う」ことの大切さ、難しさを感じた気がします。

 

 

 

 

その場にいる人たちがお互いを「了承」する準備ができあがったときに、「個人として出会う」ことができるのかもしれません。

 

 

 

 

お芝居はそういった準備ができた段階でスタートしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

内容はネタバレになるといけないのであまり言及しません。

 

 

 

 

実は、僕がこの一人芝居・浜辺ふう版『ウリハラボジ』をみるのは、今回で二度目です。

 

 

 

 

一度目は別のところでの公演をDVDに焼いた映像でみました。

 

 

 

 

そのときと今回で、一番違うなと思ったところは、僕という受け手の視点でした。

 

 

 

 

DVDでみたお芝居も、もちろん感動したんですが、どこか「距離」があったように思うんです。

 

 

 

 

それは物理的な距離もそうかもしれませんが、僕自身とそのお芝居との心理的な距離のほうが大きいと思います。

 

 

 

 

そのときの僕は、東九条という地域やそこで生活している人たちと出会おうとはしていましたが、

 

 

 

 

頭のどこかで「東九条の」ということばをくっつけてしまっていたんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも今回は、一連のプロジェクトの打ち合わせに始まり、<出会い場>での対話もありました。

 

 

 

 

いつからかはわかりませんが、僕の頭の中で「東九条の」ということばは無くなり、

 

 

 

 

「目の前の」人、浜辺ふうさんとの出会いを大切にしたいという思いが出てきていたように思います。

 

 

 

 

それがあって初めて、ただのお芝居ではなく一人の人の表現としてのお芝居がどーーーんと僕の中に飛び込んできたというか、

 

 

 

 

僕自身に近い距離でみることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

お芝居の中で、主人公が大切にしたいものと、友達が大切にしたいもの、

 

 

 

 

主人公が大切にしたいものと、おじいちゃんが大切にしたいものが食い違うシーンがありました。

 

 

 

 

そういった「大切にしたいもの」のパーツが集まってできているのが、冒頭で書いた「自分/その人らしさ」なんだと思います。

 

 

 

 

そして、その「自分/その人らしさ」は、違って当たり前なんだと思います。

 

 

 

 

でも、それが違うことって、とても辛いことでもあると思います。

 

 

 

 

その葛藤の中で、どう判断し、行動するのか?

 

 

 

 

ぶつける、ふたをする、逃げる、小出しにする・・・

 

 

 

 

どれも「正解」やし、「正解」じゃない。

 

 

 

 

だから人と人が関わるのって難しいんやろうなー…と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもきっとふうさんは、こうした難しさを感じながらも、それを誰かに伝えることや表現することの大切さ、喜びも知ってるのかな?と思いました。

 

 

 

 

そんな僕も、友達や家族、生徒や保護者、関わってくれる人に対して「何か伝えたい、表現したい」ときっと思っているんだろうと思います。

 

 

 

 

だからこんなふうにブログも書いてるんでしょうしね。

 

 

 

 

とても長いブログになってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

そして浜辺ふうさん、惠子さん、会場の準備をしてくださった方々、素敵なお芝居ありがとうございました。

 

 

 

 

今度お芝居してみたいなぁ…。

 

 

 

 

ってうわぁぁぁあ!ミスったーーー!生徒の感想とか写真とか全然載せ忘れてたーーー!!!

 

 

 

 

申し訳ありません、また何らかの機会に載せます…たぶん…。

 

 

 

 

では、また~