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日誌

チーズへのあこがれから考えたこと

 

こんにちは、学びの森のタナカです。

 

 

 

 

皆さん、「幼少期に猛烈にあこがれていた食べ物」はありますか?

 

 

 

 

私にとっては、チーズがそんな「あこがれの食べ物」なのです。

 

 

…タナカは職場のブログで何を言い出したのだろうか?気は確かか?と思った皆さん、大丈夫です。今からご説明します。

 

 

 

 

 

先日、とあるカレー屋さんにカレーを食べに行った時のことです。

 

 

 

 

私が選んだのはふつうのカレー。

 

食べるものを決めるのにはさほど時間を要さなかったものの、それにチーズトッピングをつけるかで大変迷いました。

 

 

 

 

初めてやってきたお店だったため、この店のカレー本来の味を知るためにもここはプレーンで攻めるべきである。しかし私はチーズに目が無い。チーズをつけられるものにはチーズを、チーズ味のものが選択肢にあればチーズ味のものを必ず選んでしまう女である。チーズをかけられるものにはなるべくチーズを、しかもたくさんかけたい。しかしこれまでの経験上チーズは適量が最も美味しく、さらに言えば料理によってはかけない方がチーズの味に邪魔されずその料理本来の味を楽しめることもある…

 

 

こんな思考が頭の中でぐるぐるとめぐりました。

 

 

 

 

最終的に私が選んだのは、チーズトッピング付き。

 

 

出来立てほやほやはとろりととろけるチーズとブイヨンの効いたカレーが絡み合い大変美味しかったのですが、時間が経つにつれ乾き固まり油が浮いてくるチーズ…。もちろんそんなチーズも好きだけれど、どんどん固くなっていくチーズを見つめながら咀嚼していると、少しずつ悲しい気持ちになってきます。そしてチーズは固まると、ほかの具材と絡み合わない。マリアージュを起こさない、油に纏われ独立したただの「チーズ」になってしまう。

 

 

ああ、私は今回もチーズへの執着を捨てきれず、この美味しいカレーを徹頭徹尾「美味しい」で過ごせなかった。チーズに執着するあまり、カレーの純粋な美味しさの中にチーズへの残念さをまぎれこませてしまった…。カレーにも失礼だし、チーズにも失礼なことをした…。美味しいんだけどね…。

 

 

結局、こんな気持ちで食事を終えました。

 

 

 

 

この出来事を経験したあと、己のチーズへの執着はどこから来たのか?ということを考えてみました。

 

 

すると、チーズが幼少期~思春期の「あこがれの食べ物」であったことに思い至ったのです。

 

 

 

 

我が家には、ヨーグルト以外の乳製品を頻繁に食す文化がありませんでした。(牛乳も全然飲まなかった)

 

そのためチーズは、ごくたまにしか食べられない=あったらめちゃくちゃテンションが上がる、ちょっと贅沢な食べ物、という存在だったのです。

 

 

そんな幼少期の頃のチーズへの憧憬がいまだ根を張り、チーズに対して尋常ならざる執着を見せてしまう私。

 

そうして満足なチーズ経験を重ねられないたびに、過去の「あこがれ」の思い出に引っ張られているだけで、今の自分はひょっとしたらそれほどチーズ好きではないのかも…?と思うようになってきました。

 

 

 

 

と、この食い意地の張ったエピソードが学びの森とどんな関係があるのか。

 

 

 

 

仕事柄、自分がかれこれ10年以上前に通り過ぎてきた年齢の人たち(=生徒)と日々接していると、「私が○○歳くらいやった時」のことを思い出す機会や、「今の自分がどうやって作られてきたか」を考える機会は、比較的多い気がします。

 

 

今回幼少期~思春期に私の中に醸成された「チーズへのあこがれ」がいまだ尾を引いているのを感じたことで、学びの森のみんながここで過ごす期間は、おそらくそんな「あこがれ」を醸成する期間なのではないか、と改めて思うようになりました。

 

 

そしてそんな心のやわらかい時期に大人がどう接するかは結構大事なことなのでは、とも。

 

 

 

 

 

このブログを読んでくださっている皆様はご存知のように、学びの森では、生徒に教える「大人」のことを「講師」や「スタッフ」という名前で呼びます。「教師」と自称することはあまりありません。

 

 

「学校」という場所でないからか、「講師」という呼び名に違和感はなくても、「教師」と言われるとなんだかもぞもぞ、おさまりが悪い感じがします。

 

 

 

 

ですが、生徒たちは私たちのことを「先生」と呼んでくれています。

 

 

生徒たちも「学びの森の先生は学校の先生とちょっと違う、そこがいい」と言ってくれることが多く、そこに甘えているところも多いのですが、「先生」と呼んでくれている以上、生徒が我々に「教師」的振る舞いを求めていることもあるのではないだろうか。では「教師」的振る舞いとは一体何だろうか。

 

 

生徒たちの中にいろんな物事への見方や興味、憧憬が育つようなこの期間に、「大人」として、「先生」として私はどう関わるべきか、どう関わりたいのか。そしてそれを考え続ける必要があるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

ひょんなことからそんなことを考えた、チーズ経験。

 

 

結局ただの食い意地エピソードでは?!という印象は否めませんが、食い意地が張っているのは確かなので、まあよしとしたいと思います。