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日誌

「緊張する」

 

こんにちは、学びの森のタナカです。

 

 

学びの森フリースクール・ハイスクールでは、毎週水曜日はお休みです。

 

その日に我々スタッフは何をしているのかというと(もちろんお休みではありません、残念ながら)主にミーティングと授業準備を行います。

 

ミーティングでは生徒情報の共有がメインテーマとなるのですが、その中で様々な問いが投げかけられます。

 

 

ある日のミーティングで出てきた問いは、「『緊張する』って何やろう」というもの。

 

実はこの言葉、学びの森の生徒からけっこう頻繁に聞こえてくる言葉です。

 

・集団形式の授業は「緊張する」

・電話をかけるのに「緊張する」

・皆がいる大きな教室で勉強するのはまだ「緊張する」

・何か意見を求められると「緊張する」

・あまりよく知らない先生に教えてもらうのは「緊張する」

 

…などなど。

 

 

ブログを読んでいる皆さんにもきっと身に覚えのあるであろうこの「緊張する」という感覚。

 

この言葉は一体どういう意味で広く使われているのだろうと思い、国語辞書をいくつかひいてみました。結果は以下のとおり。

 

 

きんちょう【緊張】

 

ひきしまってゆるみのないこと。㋐心を引き締めていること。「―の面持ち」㋑間柄が悪くなり今にも争いの起こりそうな形勢になること。「―緩和」「―を解く」(岩波国語辞典第六版・岩波書店)

 

①体や心がひきしまってゆるみがないこと。「筋肉の―」「初出演で―する」↔弛緩②関係がおだやかでなくなり、情勢がさしせまること。「国際的な―関係」(新選国語辞典第七版・小学館)

 

 

 

 

白川静の『常用字解』(平凡社)でも「緊」と「張」をひいてみました。

 

 

緊 キン/かたい

 

形声。音符は臣又。臣又は臣(上方を見ている目の形で、大きな瞳)に又(手の形)を入れる形で、神のしもべとする人の眼睛(瞳のところ)を傷つけて視力を失わせることをいう。そのときの瞳を傷つけられる人の心が張りつめ、体がひきしまった状態を緊という。それで緊は「ひきしまる、ひきしめる、かたい、きびしい」の意味となる。(後略)

 

※「臣又」は一字。

 

 

張 チョウ(チャウ)/はる・ひろげる

 

形声。音符は長。[説文]十二下に「弓の弦を施すなり」とあり、[詩経、小雅、吉日]に「既に我が弓を張る」とある。弓の弦をはるというのがもとの意味で、のちすべて「はる、はりひろげる、ひろげる、ひらく」などの意味に用いる。

 

 

 

 

…といくつか挙げてみましたが、辞書の説明はあくまで辞書の説明に過ぎません。学びの森の生徒たちがここで使う「緊張する」に辞書の説明が踏まえられているとも思いませんし、彼らの使う「緊張」が辞書の文言と全く同じことを意味するとも思いません。

 

ですがここに挙げた説明を読んでみて、「緊張」という言葉が表すとされる「心がはりつめ体がひきしまった状態」には、確かにそうやなぁと納得するものがあります。

 

 

私が「緊張」を感じた時は、たいてい体が強張ります。体の真ん中か表面が最初にぐっとかたくなり、その硬直が体全体に広がって全身が1ミリも動かせない(んじゃないかと思う)ようになります。心臓は、おなかの底にヒュンと寒い風が吹く感じがしたり、バクバクと音を立て不穏なリズムを打ったり、静かにすっと冷たくなったりします。顔は熱くなり皮膚のすぐ下をどくどくと血がめぐるような感じがしたり、強張って表情が動かせなくなったりします。頭もかたまるので、思考もうまく回らなくなります。

 

 

大人になって久しく、それほど「緊張する」機会はなくなりましたが、そんな風に「緊張した」と思った最近の経験って何だろう、と思い返してみました。

 

 

 

 

最初に思いついたのは、2月に行った調理実習での出来事でした。(その時の記事:波乱万丈調理実習」)

 

 

調理実習の際、講師たちだけで作ったグループの中でタルトケーキの土台作りを担当した私。

 

「こんなもんやろ!」と適当に生地をまるめたのを料理の先生に「だめよ!」と言われた時に、全身がビクッと強張りました。そしてそのあとは、先生に対してずっとびくびくしていました。(打たれ弱い)

 

もちろん先生は怒っておられたわけではなく、単に「それではだめ」と指摘をくださっただけなのですが、いい歳をして、そういった言葉やそれを発した人に対して「緊張」する自分がいまだ存在することに驚きました。

 

 

 

 

学びの森の生徒たちも、自分自身が経験したことのある「緊張」体験と同じような状態が心身に訪れるとして、それが先に書いた集団形式の授業時、電話をかける時、皆がいる大きな教室で勉強する時、意見を求められる時、よく知らない先生に教えてもらう時…といった日常的な場面でやってくるのなら、それはめちゃくちゃ大変やろう、と思うのです。

 

 

ではそれがゆるみ、ほどけるにはどうしたらいいのか。

 

 

「○○すればいい!」なんていう答えはもちろん持ち合わせていないのですが、自分の緊張がほどけた経験を振り返ってみると、結局はその状況でも「大丈夫」と思える安心を積み重ねることだったのではないかと思います。

 

 

 

 

「緊張する」経験は、大人になってもきっとゼロにはなりません。

 

だから、学びの森の生徒たちの「緊張」をゼロにしようとは思いません。

 

「それでも大丈夫」と思える経験を、安心を蓄積することで「緊張」する場面の数やその頻度、程度を少しずつ下げていくことができれば、と思っています。