「自分ルール」は曲げるべき?
身体の芯まで凍らせてしまいそうな大寒波がやってきましたが、
生徒たちにとって、もーっと嫌な存在がやってきました。
そう「定期テスト」です。
私や他のスタッフが「テスト届いてるで~!」と言うと、みんな決まって
「はぁ・・・。」という深い深いため息と、どよ~んと曇った顔をしてくれるので面白いです。
生徒たちの気持ちもわからないわけではないのですが、成績をつけてほしいという意思があるのなら
避けては通れない道であることもまた事実です。
今日はそんな定期テストをめぐって、どうしたらいいのか頭を悩ませていることをブログで書きたいと思います。
A君は中学2年生の男の子。ものづくりやゲームが好きで、いつも何か情報が入ると教えてくれます。
私が思うA君の特徴は、自分の中での決まり、いうなれば「自分ルール」にとても厳しいことです。
掃除の時間、他の生徒がモップがけをさぼって、隅っこにあるゴミをそのままにしておくと
「あ、あかんのに…。ちゃんとせなあかんな?」と私にボソリ。
学習の時間、他の生徒がやるべき課題を、もう疲れたしやりたくない!と放置していると
「やりたくないこともちゃんとやらなあかんのに…。あかんよな?」と私にボソリ。
他にもA君の「自分ルール」が発動しているなぁと思う場面はいろいろありますが、
今回の定期テストでもそれが発動しました。
普段の学習では、どの科目でも割とスイスイ問題を解いていく力があるA君。
しかし、テストになるとパタリと手が止まってしまいます。
はじめは、学習が追い付いていない範囲で問題が出たのかと思っていましたが、
問題と解答を見てみると、そうではありませんでした。
後から「ここわからんかったん?」と聞いてみると、うなずくA君。
さらにつっこんで、どこが、どんな風にわからなかったかなどを聞いてみると、
A君が実は正解を導き出していたことが判明したのです。
どういうことかと言うと、例えば国語の場合。
選択式と記述式の2種類の問題が出されています。
A君はそのどちらに対しても、
<100%自分がわかった問題じゃないと解答してはいけない>
という自分ルールを発動させてしまい、選択問題も記述問題も空欄だらけになってしまっていたのでした。
これでは、A君が本当にわからなかったのか、わかっているのに書けなかったのか、採点する人に伝わりません。
それに、成績もA君の実力とは違った結果として出されてしまうはずです。
なにかやるせないなぁと思った私は、A君と話をしてみました。
「このままやと、もったいないなぁと思うんやけど、A君自身はどう思ってんの?」
「うーん…。点数だけで実力が判断されるのは嫌かな。」
「俺もそれは嫌やな。でも答え書きたくないん?」
「うん。やっぱり当てずっぽうとか、わからんまま書くのは納得いかへん。」
「そうか…。じゃあどうしたらいいんやろな。」
「うーん…。ちょっとずつ(書けるように)練習するしかないかなぁ…。」
「うーん…。難しいなーこれ。自分ルール緩めれたら楽なんかなぁ。」
A君も私も、打開策はまだ見つけられてはいません。
でもそもそも、「自分ルール」は曲げるべきなんでしょうか?
他者に対してそれを発動してしまって、トラブルが続くなら曲げるほうがいいのかなぁ。
テストに関してはそれも含めて、ちゃんと評価できるものを作るっていう方向もあるよなぁ。
A君見てると緩んでるときもあるし、環境を変えたら発動せんですむんかなぁ。
などなど、私の頭の中で色んなことがぐるぐるしております。
どんな立場に立って考えるかで、考えも変わってくるように思います。
「自分ルール」、みなさんはどう考えますか?