「見立て」は一緒につくる
学びの森では、学期ごとに保護者面談の機会を設けています。
いつも多くの保護者の方が利用してくださり、私たちスタッフにとっても貴重な時間となっています。
学びの森には本当に色んな子どもたちが通っていて
いつも「十人十色」とはまさにこのことを言うんだろうなーなんて考えたりします。
そして、それは保護者の方々についても同じです。
保護者面談では、「十人十色」の親御さんと「十人十色」の子どもたちのことを一緒に考えます。
私が学生時代に受けてきた保護者面談ではたいてい、先生から見た「私」を一方的に話される感じでした。
しかし、学びの森の保護者面談は一味違います。
まず、最近保護者の方が気になること、家での様子、それらから考えたことを話してもらいます。
そのうえで、スタッフがここでの生活の様子から考えたこと、あるいは保護者の方に聞いてみたいことを話します。
そうすると、家庭での様子とここでの様子に共通する部分と、そうでない部分が洗いだされます。
例えば、保護者の方が「うちの子、本当に片づけできないんですよ」と言ったとします。
その「できなさ」を深堀りして聞いてみると、実は「洗濯物はたたむけど、冬物の棚に入れない」ことが見えてきます。
このことと、学習面での課題は決して無関係ではないはずです。
国語の選択問題はできても、筆者の意見をまとめるような問題ができない…。
私はその子が学習している姿や他の生徒、スタッフとの関わり方を見ながら
「言語化するのが苦手なのかな?」とか「具体的なものを抽象的なものにまとめるのが苦手なのかな?」とかあれこれ考えます。
いわゆる「見立て(アセスメント)」とかいうやつですね。
そこに、保護者の方の話を重ねてみると、その見立てが深まることがあるんです。
あるいは、見立てが全く違うものになることも。
つまり、学びの森の保護者面談では、今まで子どもと関わってきた/そしてこれからも関わる時間が長い保護者の方と
少しではあるけど今ここで関わっている私たちの目線を共有することで、その子を一緒に見立てているんだと思います。
そうすることで、その子に関わるみんなが、その子が見ている世界を少しでもその子の目に近い目で見ることができるかもしれない。
そんなことを考えた保護者面談でした。
そうそう、そしてこの「見立て」は間違っててもいいと思うんです。
間違っていたとき、あるいは立ち行かなくなったときに、もう一度イチから作り直せば。
その子に関わるみんなの、そういう機会にも保護者面談はなっているんじゃないでしょうか。