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日誌

子どもが「学校に行きたくない」と言ったら。

 

こんにちは!学びの森のタナカです。

 

7月も半ばを過ぎ、梅雨も明けました。

今日の京都亀岡は久しぶりに空気がカラッとしており、暑いながらも気持ちがいいお天気です。

 

 

学校ではとうとう夏休みが始まりますね。

 

 

 

 

夏休み、子どもがいつもより長く家にいる期間。

 

今お子様が「学校に合わない」と感じている、学校に行くのを嫌がっているという保護者の方からすると、学校に行かせようと試行錯誤せずに済む少しほっとできる期間であると同時に、夏休み明けに学校に行けるかどうかという不安を、あるいは2学期からは気持ちを切り替えて行ってくれるのではと期待を感じながら過ごす、苦しい期間でもあるのではないかと思います。

 

 

 

 

「学校行きたくない」と子どもが言ったら、何と答えればいいのでしょうか。

 

 

 

 

学びの森の「不登校Q&A」ページでは、このように回答しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、「正解はありません」と。

 

 

普段の学びの森での子どもたちとのやりとりでも同じことが言えるのですが、「この言葉にはこう返す」なんていう「たったひとつの正解」はないんですよね。だから難しい。

 

 

 

 

ただ、何の問題もなく順調に楽しく学校生活を送れているのであれば、子どもは「学校に行きたくない」とは言わないはず。

 

学校という環境、あるいはそこにいる人たちとの間にギャップや違和感、息苦しさを感じる何かがあるからこそ、「行きたくない」というメッセージを発する。

 

 

 

ここでも「子どもの視点に立って考えることが大事」とお話ししていますが、「学校行かなあかん」「ほかのみんなは毎日行ってる」「親も心配してる」なんてことは子ども自身が一番分かっていて、でもだからこそ、そうできない自分へのジレンマを抱えて苦しんでいるのだと思います。

 

そんな時に無理に学校に行かせようとすることは、子どもからしたら「分かってもらえていない」という感覚に陥るのではないかと。

 

 

 

 

本人が学校に行きたいのに行けないというもどかしさ、苦しさを抱え家にいる…いたくなくてもいざるを得ないと言ってもいいであろう時に、家が「分かってもらえない」場所になると、家も学校も苦しい場所になってしまいます。

 

 

 

自分の所属先すべてが苦しさを感じる場所になってしまうと、事態は膠着し、どんどん動きにくくなるもの。

 

 

 

「分かってもらえる」という安心感は、すなわち「自分」を受け入れてもらえる、という安心感にもつながります。

 

自分を受け入れてもらえると思っていれば、自分の気持ちを素直に表現するきっかけも生じやすくなりますし、そこから自分がこれからどうしたいのか、どうしなければならないのかを見つめ、次の段階に進むことを考える余裕も少しずつ生まれてきます。

 

 

 

 

そのために、保護者の方には「『子どもが今、何を感じ、何を見つめているのか?』を子どもの視点に立って考えることが大事」とお伝えしています。

 

(でももちろん、いちばん近くでお子様を見ているからこそそれが難しい、というのもありますよね…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的な話をすると、実は私タナカも、小学生の頃に一時期学校に行きたくない、と言っていたことがありました。

 

 

 

3~4年生の頃だったか、それまで一番仲の良かった幼馴染の子とクラスが離れてからうまくいかなくなったんですね。ずっと一緒に帰っていたのに、向こうは新しいクラスの友達と一緒に帰り始め、こちらはそれに入れず、かといってクラスで仲良しの友達もなかなか作れず。

 

 

 

そんな時に母親に「学校行きたくない、やめたい」と言った数日後、当時存在したオルタナティブスクールと思われる学校の資料を取り寄せて私に見せてくれたんです。

 

 

「今の学校が嫌やったら、こういう学校もあるで。まなみが行きたかったら、行ってもええで」と。

 

 

 

それを見て私は今の学校から動くことに怖気づいたのか、資料に載っていた学習内容が独自性の高いものだったため合わないと思ったのか我が家の家計ではそれは無理だろうと心配したのか何なのか、「やっぱり○○小(自分のいた学校名)行く」と翻意し、通い続けたのですが。

 

 

 

 

遠い昔の話なので詳しいことは忘れてしまいましたが、その時に親が自分の思いを否定せず、いったん受けとってくれたことの安心感みたいなものは今でも覚えています。

 

 

 

 

だから、「子どもが『学校に行きたくない』と言ったらどうするか」という問いに対する「たったひとつの正解」はないものの、学びの森のタナカとしてでなく、いち個人の田中としても、まずお子様の思いを受けとって、子どもの目に何が見えているかを聞いてみていただけたらなぁと思うのです。

 

 

私はまだ結婚もしていなければ「親」になったこともないので、親ならではのそうすることの難しさを理解はできないのですが。

 

 

 

昔学校に行きたくないと思ったことがある「子ども」だった私は、そう思うのでした。

 

 

 

 

 

親も子も、いろんな思いを抱えて迎える夏休み。

 

 

ひとりでも多くの親御さんと子どもたちが、一瞬間でも多く、笑顔でこの期間を過ごせますように。

 

 

 

…夏のせいでちょっとおセンチなタナカがお送りしました!