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日誌

勉強を「私だけ」の記憶に。学びの森の学びのひとコマ

 

ある日の学びの森。

 

ある小学生の生徒が、漢字の勉強をしていました。

 

 

 

 

「これ、間違ってんで。」

 

 

スタッフが指摘します。

 

 

「前のページ見返して、直してみ。」

 

 

 

 

ここまでは、勉強の場でよく見られる一般的なやりとりです。

 

 

 

 

このあとに、こんな会話が続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

スタッフ「この『美』って、○○のお母さんの名前に入ってる字やな」

 

 

生徒「そうやで」

 

 

スタッフ「これは書けなあかんやろ!」

 

 

生徒「え~!」

 

 

 

 

 

こういった会話が、学びの森ではよく見られます。

 

 

新しいことをただそのまま覚えようとするのではなく、少しでもその生徒の記憶のフックにひっかかりやすいように、勉強がよりそのひとに固有な記憶になるように、交わされるやりとり。

 

 

もちろん、そう思って交わされる会話のすべてがその目的を達成しているわけではありません。

 

ですが、その意識を持っているか持っていないかで、勉強を積み重ねた時に何か変わってくるものがあるのではないかと思うのです。

 

 

 

 

 

それはきっと私が、似た経験を持っているから。

 

いまだに忘れられないのが、高校生の頃、英単語を必死で覚えていた私は、”predict”(予言する、予測する)という単語の意味だけがなかなか覚えられなかったんです。

 

 

そんな時、友だちが私の目の前に立ち、

 

「まなみちゃん。私があなたの未来をpredict!あなたは○○大学に合格するでしょう!!」

 

と突然叫びました。

 

 

「へ!?」とわけがわからず戸惑い大笑いした私でしたが、それ以降、”predict”という単語の意味は一度も忘れませんでした。(そして友人の言葉のとおり、志望大学に合格できました)

 

 

 

 

なぜこのエピソードがずっと頭に残っているのかは自分でもよく分りませんが、子どもたちの記憶のフックにひっかかりやすいように、ということを思うとき、いつもこの友人とのエピソードを思い出します。

 

 

 

 

 

日常のやりとりの中で毎回ここまで強烈なインパクトを与えることは難しいですし狙ってもいないのですが、こういう「私だけ」が持つ学びのエピソードを、大なり小なり、子どもたちの中に少しずつ落っことしていけたらなあと思う、ある日の教室のひとコマでした。