私のもうひとつの学校
私は中学二年生の二学期から少しずつ学校へ行かなくなりました。理由は同じクラスの男子とのトラブルでした。そのトラブルの後は学校や人が大嫌いになりました。トラブルの後も担任の先生の態度は[私が悪い]と思っているようにしか感じられませんでした。そして学校へ行くことができなくなりました。その頃は学校の敷地に入ることや制服を見るだけで気分を悪くしていました。
そんなある日、私は知誠館の広告を見つけました。「もう一つの学校」そんなことばに私はひかれました。インターネットで調べ、すぐに資料請求もしました。初めて面談に言ったときは北村先生の顔を見ることさえできませんでした。でも、いろんな話を聞いて、色々悩んで知誠館に来ようと決めました。当初は知誠館にいる人も信用できませんでした。また同じようにトラブルがあるのではないかと怖がっていました。毎日通うことも難しい状態でした。今になってから先生に話を聞くと、「いつも気難しそうな顔をしていた。」と言われてしまいます。
そんな私も今は「出席認定」を受けて五月の中旬から無欠席です。「出席認定」と言うものは私の中でとても大きいものでした。「私は不登校じゃない」と自信に思えるからです。そして、私の中で変わった最大の点は初対面の人とも話せるようになり、笑顔を見せるようになった点です。
知誠館に来る前は、受験については定時制の学校に入ろうと思っていました。成績もなくて、出席もなくて・・・という私をどこの学校が受け入れてくれるのか、といつも思い悩んでいました。でも今は考え方が全く変わりました。私は今、普通高校を目指して勉強しています。こんな大きな気持ちの変化が表れたのは知誠館のおかげです。
私の一番の望みは「知誠館でサボっているわけではない」「私なりに努力している」という事を学校側に理解してもらうことでした。今は、「お昼は知誠館、放課後は学校」という理想的な生活です。そして学校の先生にも努力を認めてもらっています。文句を言いながらも勉強も自分のペースで頑張っています。私は、知誠館があって良かったと思っています。
そんなある日、私は知誠館の広告を見つけました。「もう一つの学校」そんなことばに私はひかれました。インターネットで調べ、すぐに資料請求もしました。初めて面談に言ったときは北村先生の顔を見ることさえできませんでした。でも、いろんな話を聞いて、色々悩んで知誠館に来ようと決めました。当初は知誠館にいる人も信用できませんでした。また同じようにトラブルがあるのではないかと怖がっていました。毎日通うことも難しい状態でした。今になってから先生に話を聞くと、「いつも気難しそうな顔をしていた。」と言われてしまいます。
そんな私も今は「出席認定」を受けて五月の中旬から無欠席です。「出席認定」と言うものは私の中でとても大きいものでした。「私は不登校じゃない」と自信に思えるからです。そして、私の中で変わった最大の点は初対面の人とも話せるようになり、笑顔を見せるようになった点です。
知誠館に来る前は、受験については定時制の学校に入ろうと思っていました。成績もなくて、出席もなくて・・・という私をどこの学校が受け入れてくれるのか、といつも思い悩んでいました。でも今は考え方が全く変わりました。私は今、普通高校を目指して勉強しています。こんな大きな気持ちの変化が表れたのは知誠館のおかげです。
私の一番の望みは「知誠館でサボっているわけではない」「私なりに努力している」という事を学校側に理解してもらうことでした。今は、「お昼は知誠館、放課後は学校」という理想的な生活です。そして学校の先生にも努力を認めてもらっています。文句を言いながらも勉強も自分のペースで頑張っています。私は、知誠館があって良かったと思っています。