第5回10月2日出会い場 政治家北神さん「この国を男前にしたい」
「出会い場」がありました。
「出会い場」とは、「こだわりの大人たちと若者たち」の出会いの場です。生徒たちが、こだわりを持って仕事をする大人のライフストーリーを聞いたり、様々な仕事について知ることで、自身のキャリアについての考えを深める場です。
今回の様子を簡単にご紹介します。
■講師:
北神圭朗さん
■参加者:16名(生徒9名・塾長・小牧・村岡・田中・小林・一般2名)
■前半 伝えたいこと(14:30~)*********************
一番伝えたいことは、「自分がやりたいことをやる」ということは人生で一番幸せなことだということです。
やりたいことを見つけられること、それに向かって邁進する(ひたすら努力する)こと、挫折を乗り越えることで、充実した人生が送れる。
私も、落選3回目で、もう一度乗り越えようと挑戦している最中です。
あとは、政治家の実態です。
世間のイメージは違うかもしれないけれど、実際はまじめな人が多いということです。
■政治家の仕事(14:33~)*********************
私は国会議員を目指しています。
まずは政治家って、どんな仕事か?ということをお話しします。
国の政府にはいろんな役所があり、役所は皆さん(国民)から税金を貰って、
道路を作ったり、医療費を安くしたり(日本の医療費は世界一安い)、防衛で国土を守ったりします。これは税金だから成り立つもの。
違う言葉でいうと「行政」です。
国会の政治家は、行政が必要なところにコストを考えて使っているか見張り、何かあれば国会で議論します。
大きく分けて2つの仕事です。
与党(多数派)→総理大臣・大臣が選ばれ、政府の中で行政をする。
野党(少数派)→国民の単純な疑問や国会の中で行政を見張る。
■なぜ政治家を志してきたか(14:40~)*********************
私の生まれは日本です。
9か月から小中高校はアメリカで過ごし、18歳から京都で過ごしました。
「挫折を乗り越えるのには情熱が大事。」
その情熱のきっかになったのは、アメリカでの生活です。
周りは白人という環境で、「自分は日本人だ」ということを嫌でも意識させられてきました。
例えば、家に友達が来て、親と日本語で喋ったり、くつを脱いだりすると、アメリカ人とのギャップがある。子どもの頃は、平気で日本人の悪口を言われたり、日本人として差別をうけました。
特に衝撃を受けたのは、中学生のときです。
ベトナム人の友達ができました。ベトナム戦争中に海を渡ってきたんですね。
“Wet back””boat people”(背中が濡れている、海からやって来た奴らという差別用語)と呼ばれていた。
彼は、半年で英語も勉強もよくできるようになっていました。
彼に聞くと、徹夜で勉強していたようでした。その理由を聞くと、
「あなたには日本という立派な祖国があるからいい。しかし、私たちベトナム人には戻る祖国がない。戦争で安定したものがない。アメリカで勝負して生きていくしかない。が、白人たちは僕たちを同じように扱わない。同じ勉強をして同じ能力なら、白人をとる。だから、白人よりも良い成績をとらないと、普通の生活すらできない。」
と言っていました。中1にしてその考えに私は衝撃を受けました。
また、高校時にはこんなことがありました。
バスケットのジョギング中に、友人が私に、
「お前ら(日本人)のせいで親が仕事を首になった。お前ら(日本人)が俺たち(アメリカ人)の技術を真似して安売りしているからだ。アメリカが作り出した技術なのに。」
このときに思ったのは、
「お前”ら”」ということは、その友人は私を”日本人”として見ているということを感じました。
そんな事も含めて、日常的に「自分は日本人である」という意識せざるを得ない環境でした。
“自分は何なのか””日本人なのか””アメリカ人なのか”
小学校2年から毎朝学校で、アメリカ国旗に向かって胸に手を当てて忠誠を誓う。周りに合わせてやっていたが、高校生にもなると違和感を持つようになりました。
「アメリカにずっといても、自分の価値観が確保できるのか」という悩みながら、日本に帰りました。
日本に帰り、大学2回生のとき、湾岸戦争のときです。
アメリカの大統領(ブッシュ父)が、
「イラクがクエートから出ていかないと、攻撃する。」
と言ったことに対して、日本の専門家たちは、
「この時代に戦争なんてするはずがない。ただの脅しだ。」
「イラクも悪い。どっちもどっち。」
と言いました。
アメリカ的考え方では、どっちもどっちだという立場は神様だけです。
解決するには、どっちかの立場にたたないと責任がないと思いました。
そして、
「日本の祖国が男前の国であってほしい」」
「日本の国を一流にしたい」
という思いを大学の頃から持ち続けてきました。
自分が特別苦労しているとは思いません。
妻には「それはあなたが無神経だからよ」とか
「国を治める前に、家庭を治めなさい。」と言われますが。。笑
家庭でも政権交代がおきたんです。
私は今野党に転落しています。笑
絶対に絶対に”諦めないこと”です。
あらゆることを考えて全身全霊をこめてやりたいことを成し遂げることです。
やりたいことをやるために、生活を成り立たせることにも知恵をしぼるんです。
最澄が残した言葉にこういうものがあります。
“道心の中に衣食あり”(やりたいことの中に自ずと生活がついてくる)
“衣食の中に道心なし”(生活にあくせくすると志・夢はない)
一生懸命やっていれば、必ず誰かが見ていて手を差し伸べてくれます。
■全体の語り******************************************************
生徒A なぜ民主党なのですか。
北神さん ひとつは、前原さんが民主党だったからです。
生徒B 夜警国家派?福祉国家派?
北神さん 夜警国家派。
生徒C 昨日は何をしていましたか?
北神さん 亀岡の河川を視察したり、
おばあちゃんとおはぎを食べたり、支援者めぐりですね。
生徒D 小さい時は何になりたかった?
北神さん 天文系。野球選手。小説家。
生徒E 社会は好きですか?
北神さん 歴史は好きでした。
■感想****************************************************
生徒A 政治の事とか、朝日新聞の事を詳しく聞けて、
ネットに書かれているような内容とは違って、
とても貴重な体験でした。
生徒B 政治へのイメージが結構かわりました。
生徒C 保身から入らず、行動することの大切さを学びました。
「出会い場」とは、「こだわりの大人たちと若者たち」の出会いの場です。生徒たちが、こだわりを持って仕事をする大人のライフストーリーを聞いたり、様々な仕事について知ることで、自身のキャリアについての考えを深める場です。
今回の様子を簡単にご紹介します。
■講師:
北神圭朗さん
■参加者:16名(生徒9名・塾長・小牧・村岡・田中・小林・一般2名)
■前半 伝えたいこと(14:30~)*********************
一番伝えたいことは、「自分がやりたいことをやる」ということは人生で一番幸せなことだということです。
やりたいことを見つけられること、それに向かって邁進する(ひたすら努力する)こと、挫折を乗り越えることで、充実した人生が送れる。
私も、落選3回目で、もう一度乗り越えようと挑戦している最中です。
あとは、政治家の実態です。
世間のイメージは違うかもしれないけれど、実際はまじめな人が多いということです。
■政治家の仕事(14:33~)*********************
私は国会議員を目指しています。
まずは政治家って、どんな仕事か?ということをお話しします。
国の政府にはいろんな役所があり、役所は皆さん(国民)から税金を貰って、
道路を作ったり、医療費を安くしたり(日本の医療費は世界一安い)、防衛で国土を守ったりします。これは税金だから成り立つもの。
違う言葉でいうと「行政」です。
国会の政治家は、行政が必要なところにコストを考えて使っているか見張り、何かあれば国会で議論します。
大きく分けて2つの仕事です。
与党(多数派)→総理大臣・大臣が選ばれ、政府の中で行政をする。
野党(少数派)→国民の単純な疑問や国会の中で行政を見張る。
■なぜ政治家を志してきたか(14:40~)*********************
私の生まれは日本です。
9か月から小中高校はアメリカで過ごし、18歳から京都で過ごしました。
「挫折を乗り越えるのには情熱が大事。」
その情熱のきっかになったのは、アメリカでの生活です。
周りは白人という環境で、「自分は日本人だ」ということを嫌でも意識させられてきました。
例えば、家に友達が来て、親と日本語で喋ったり、くつを脱いだりすると、アメリカ人とのギャップがある。子どもの頃は、平気で日本人の悪口を言われたり、日本人として差別をうけました。
特に衝撃を受けたのは、中学生のときです。
ベトナム人の友達ができました。ベトナム戦争中に海を渡ってきたんですね。
“Wet back””boat people”(背中が濡れている、海からやって来た奴らという差別用語)と呼ばれていた。
彼は、半年で英語も勉強もよくできるようになっていました。
彼に聞くと、徹夜で勉強していたようでした。その理由を聞くと、
「あなたには日本という立派な祖国があるからいい。しかし、私たちベトナム人には戻る祖国がない。戦争で安定したものがない。アメリカで勝負して生きていくしかない。が、白人たちは僕たちを同じように扱わない。同じ勉強をして同じ能力なら、白人をとる。だから、白人よりも良い成績をとらないと、普通の生活すらできない。」
と言っていました。中1にしてその考えに私は衝撃を受けました。
また、高校時にはこんなことがありました。
バスケットのジョギング中に、友人が私に、
「お前ら(日本人)のせいで親が仕事を首になった。お前ら(日本人)が俺たち(アメリカ人)の技術を真似して安売りしているからだ。アメリカが作り出した技術なのに。」
このときに思ったのは、
「お前”ら”」ということは、その友人は私を”日本人”として見ているということを感じました。
そんな事も含めて、日常的に「自分は日本人である」という意識せざるを得ない環境でした。
“自分は何なのか””日本人なのか””アメリカ人なのか”
小学校2年から毎朝学校で、アメリカ国旗に向かって胸に手を当てて忠誠を誓う。周りに合わせてやっていたが、高校生にもなると違和感を持つようになりました。
「アメリカにずっといても、自分の価値観が確保できるのか」という悩みながら、日本に帰りました。
日本に帰り、大学2回生のとき、湾岸戦争のときです。
アメリカの大統領(ブッシュ父)が、
「イラクがクエートから出ていかないと、攻撃する。」
と言ったことに対して、日本の専門家たちは、
「この時代に戦争なんてするはずがない。ただの脅しだ。」
「イラクも悪い。どっちもどっち。」
と言いました。
アメリカ的考え方では、どっちもどっちだという立場は神様だけです。
解決するには、どっちかの立場にたたないと責任がないと思いました。
そして、
「日本の祖国が男前の国であってほしい」」
「日本の国を一流にしたい」
という思いを大学の頃から持ち続けてきました。
自分が特別苦労しているとは思いません。
妻には「それはあなたが無神経だからよ」とか
「国を治める前に、家庭を治めなさい。」と言われますが。。笑
家庭でも政権交代がおきたんです。
私は今野党に転落しています。笑
絶対に絶対に”諦めないこと”です。
あらゆることを考えて全身全霊をこめてやりたいことを成し遂げることです。
やりたいことをやるために、生活を成り立たせることにも知恵をしぼるんです。
最澄が残した言葉にこういうものがあります。
“道心の中に衣食あり”(やりたいことの中に自ずと生活がついてくる)
“衣食の中に道心なし”(生活にあくせくすると志・夢はない)
一生懸命やっていれば、必ず誰かが見ていて手を差し伸べてくれます。
■全体の語り******************************************************
生徒A なぜ民主党なのですか。
北神さん ひとつは、前原さんが民主党だったからです。
生徒B 夜警国家派?福祉国家派?
北神さん 夜警国家派。
生徒C 昨日は何をしていましたか?
北神さん 亀岡の河川を視察したり、
おばあちゃんとおはぎを食べたり、支援者めぐりですね。
生徒D 小さい時は何になりたかった?
北神さん 天文系。野球選手。小説家。
生徒E 社会は好きですか?
北神さん 歴史は好きでした。
■感想****************************************************
生徒A 政治の事とか、朝日新聞の事を詳しく聞けて、
ネットに書かれているような内容とは違って、
とても貴重な体験でした。
生徒B 政治へのイメージが結構かわりました。
生徒C 保身から入らず、行動することの大切さを学びました。