MENU

日誌

学びの森のふりかえり

 

月曜日。新しい一週間が始まりました。

 

 

10ウン年ぶりレベルで夢中になった連続ドラマが終わってしまい、これから何を希望に生きていけばいいのか途方に暮れている(大げさ)、学びの森のタナカです。

 

 

 

 

さて。

 

このブログでも触れたことがあるかもしれませんが、学びの森には「ふりかえり」と呼ばれるシートが存在します。

 

 

それが、こちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

正式には「個別学習計画表」というもので、その日学習した教科と内容、全体を通してのまとめを記入し提出して帰ります。そしてスタッフがそれにひとつひとつコメントを返す、という仕組み。

 

 

登校した日は毎日書いてもらうので(学びの森は土日に加え水曜日がお休みです)、このふりかえりを書くために一日を振り返ること、そしてそれを言語化(文字化)することの蓄積は生徒にとってけっこう大きな、意味を持つことだと思っています。

 

 

 

 

このふりかえりを見る時間が、私はけっこう好きです。

 

 

「今日あんまり話できひんかったけど、こんなこと感じてたんか~」「あの話してた時こんなこと感じてたんや!」「なるほど、今日の授業に対してこういう風に思ったのね」「この季節が好きなんや!」「こんな悩みがあったんか」など、ここから知れることがたくさんあるからです。

 

 

 

 

そして、それに対してほかの先生がどんなコメントを返しているかを知れるのも楽しみなポイントです。

 

 

「こういう見方もあるんか」「私はこう言われたらこんな風に思うけど、なるほど、この先生はこんな風に言わはるんか」「この返しおもろいな…」など、自分と違った視点を実感できます。

 

 

 

 

先ほど、ふりかえりを書くことは生徒にとって意味を持つことだという話をしましたが、これはスタッフにとっても言えることです。

 

 

 

 

生徒との日常的なやりとりは会話が多く、彼らがその時に思ったことや感じたことを文章にして意見を交わすことはあまりありません。(教科等の学習においては行なっていますが)

 

 

会話は瞬発的な反応が問われたり、相手の表情がその発言の情報を補足してくれたり、ほかの人が予期せず参加してくれたり、とりとめなく語っても相手の換言してくれたことが自分の言いたいことの的を射ていたり、相手が察してくれたり先を促してくれたり…と、その場での情報や変動の多さ、未完成な「文」でも意味を成すこと、それが蓄積されないことなど、書面でのやりとりとは条件がなかなかに違っています。

 

 

 

 

生徒自身が振り返り文章に残したものを視覚から把握し、認識する。そしてその生徒が過ごした時間を思い出したり想像したりしながら、書かれた内容を理解しようとする。それに対し、自分が感じたことをなるべく正確に伝えられるように、こちらもまた言葉に、文章にする。それをまた、生徒が読む。

 

 

 

 

「ふりかえり」のやりとりでは、そんなことを蓄積していると思うのです。

 

 

生徒に言うと「そんなこと考えてへんわ」と言われそうですし、私自身も毎日はなかなかそこまで考えられていなかったりしますが、この「ふりかえり」を毎日書いてもらっているねらいは、そのへんにあるのだと思います。

 

 

 

 

さて、そんなふりかえり。

 

 

今日の分、今から読むぞ~~~!!!