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日誌

「学びの森」は「創作の森」?

 

こんにちは、学びの森のタナカです。

 

梅雨どこ行ったん!?と思うほどの暑さだった昨日、亀岡駅から学びの森まで、約40分かけて歩いて来てみました。汗だくだけど、身体を動かすって気持ちいい!たまには動かさないと!と日頃の運動不足を悔いたものの、いじめられた筋肉が悲鳴を上げている今日でございます。あいたたた…。

 

さて、学びの森ハイスクールの火曜日3コマ目の時間では、最近こんな光景がよく見られます。

 

 

 

 

高校生みんなが、パソコンに向かってカタカタと何かを打っていたり、うんうん頭を悩ませていたり。

 

 

 

「…何してんの?」

 

気になって尋ねてみたところ、返ってきた答えは

 

「恐怖小説書いてる。」

 

 

 

「恐怖小説…?」

 

より気になって、ハイスクールのこの時間を受け持つ桜井先生にまたまた「この時間はみんな何をしてるんですか?」と尋ねてみたところ、返ってきた答えは

 

「創作活動。」

 

 

 

…どうやら本当に恐怖小説を書いているようです。

 

詳しく話を聞いてみると、先日この時間に川上弘美さんの「離さない」という短編小説(中公文庫『神様』所収)をみんなで読んだんだそうな。

 

そこで「怖い」という感想が出てきたことから「恐怖」について分析したところ、「安心安全を確信できる場であれば人間は『恐怖』を楽しむことができる」ということに行き着き、「じゃあ実際に書いてみよう!」と、この光景になったのだそうです。

 

 

 

ここで驚くのが、創作者となったみんながどんどん作品を作り上げていくこと。

 

状況が整えられれば、人間って創作したい生き物なのかも、と彼らの姿を見ていて思います。

 

 

 

実は「書く」側になってみると、「読む」側としての意識も少し変わってくるので案外おもしろいんですよね。

 

「ああ、『車軸を流すような雨』を出すとこんな場面になるのか」とか、「『きらきらと水面に反射する光がまぶしい小川』と、『誰の手も入っていないのだろう、好き放題に伸びた葉が岸を埋め尽くす、淀んで底が見えない小川』とでは受ける印象が全然違うよなぁ」「そもそも『小川』という言葉には唱歌の影響でもうみんな固定のイメージを持ってしまっているかもしれない」とか。

 

書いてみると、その要素が持つ作用のようなものを実感を持って感じとることができる気がするのです。

 

そしてそのあとに読む作品がまた味わい深く、おもしろくなりますし。

 

 

 

さて、みんなの「恐怖小説」、どんな作品が出来上がるのか。

 

完成したら読ませてもらおうと企んでいるので、ここでまたご報告できればと思います。

 

ほんまは怖い話嫌いなんやけどな!読みたいから!みんな、読ませてな!(ここで言っても)