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日誌

第2回東九条フィールドワーク

今日も生徒たちと一緒に東九条へフィールドワークに行ってきました。

東九条に行くのは今回で2回目。どんな趣旨でフィールドワークをおこなったのか、1回目はどこに行ったのかはこちらをご覧ください。→第1回東九条フィールドワーク

 

 

 

今回ご協力いただいたのは、来る第25回東九条マダンの実行委員長をつとめることになった、梁説(やんそる)さんです。

やんさんにどんなお話を伺ったのかを書く前に、第1回目のフィールドワークから生徒たちとどんなことをしたかの経緯を書きたいと思います。

 

 

 

第1回目のフィールドワークを終えて、生徒たちと振り返りをおこないました。

その中で出てきたのは、「在日(韓国・朝鮮人)」という言葉をめぐる問いでした。

 

 

< 初めて「在日」っていう言葉でくくられる人に会ったわ。

< ネットでは「在日」って悪い意味で使われてるっていうか、自分は悪い意味で使われてるとこしか見たことないねん。

< あ~、確かに「ヘイトスピーチ」とかよくニュースなってるよな。

< でも、今回フィールドワークで出会った人たちって、そんなんじゃないっていうか…

< みんないい人やった。

<「在日」の人ってどんな人なんやろう?

<「在日」ってなんなんやろう?

< もっといろんな人の話が聞きたいな。

 

 

こんな対話が繰り広げられていました。

─「在日」ってなに?

それについ私は応えることができません。ならば聞いてみようということになりました。

 

 

 

そして、ちょうどそのころやんさんが所属する「ハンマダン」という団体の単独公演があるという話を聞きました。

「ハンマダン」は、1986年に結成された、東九条を拠点に活動する民族民衆文化碑です。

東九条という地域で生活する在日韓国・朝鮮人、日本人が集まって結成されたハンマダンは、「ひとつの広場・共同のマダン」という言葉の通り、当時ありのままの自分を表現することができなかった人たちが様々な葛藤の中で、自分たちで民衆文化を受け継ぎ、創造しながら、自らの「解放」を目指した表現の場です。

その活動は現在も続いており、私たちにとって、自らを問い直し、ともに生きることの意味を考える場として機能しています。

※私の説明では不十分だと思うので、ハンマダンについての詳細はこちらをご覧ください。→東九条マダン公式HP

 

 

 

そのハンマダンの記念公演を生徒と一緒に観に行ってきました。

第1.5回東九条フィールドワークみたいな感じですね。

 

 

 

そこで繰り広げられた「歌と詩、チャンゴと和太鼓の共演、マダン劇」は一言では言い表せないほど迫力のあるものでした。

私は詩や音楽、演劇といった芸術にあまり触れたことがなかったのですが、なんとも言えない興奮と感動が押し寄せてきました。生徒たちも観終わったときはハイテンションで、「なんであんな演出になってたんやろう?」とか「チャンゴと和太鼓かっこよかったな~!」と言っていました。

 

 

 

後日改めて感想を聞くと、ここでも新たな問いが浮かび上がってきました。

 

 

< なんでマダン劇するようになったんやろな。

< 資料に書いてたやん。「自分たちを解放するため」って。

< じゃあその「解放」って何からの「解放」なん?

< あれちゃう?日本と朝鮮の歴史とかからの「解放」。

<「在日」っていう言葉の持つイメージからの「解放」でもあるんちゃう?

<「不登校」のイメージ変えたいって俺らがフォーラム開いたみたいな?

 

 

みんなで考えても答えは出なかったので、これも聞いてみようという話になりました。

また、みんなで映画『GO』を見る中で、「外国人登録証」や「指紋押捺制度」など、歴史的な事実を踏まえないと、このフィールドワークで出会った人たちと対話をしても意味ないんじゃないかという意見も出てきたりしました。

 

 

 

こうした経緯をやんさんに話し、今回のフィールドワークではやんさんのライフストーリーと、やんさん自身の「解放」についてお話を伺うことに決まりました。

 

 

 

場所はハンマダンの方々が普段、練習場所として使用されている「マダンセンター」をお借りしました。

第1回目のときにここの説明も受けていて、中に入ってみたいという思いもあったので、とてもうれしかったです。

 

 

やんさんは祖父母の時代までさかのぼり、丁寧に日本と朝鮮の歴史や、その中で様々な葛藤を抱えながら生きてきた自分のライフストーリーを語ってくださいました。

その内容は、単なる一般論としての歴史ではなく、やんさんを通して見る生々しい現実でした。

 

 

 

歴史の勉強をしていて、いつも思うことがあります。

 

─この単語覚えて何になんねん。

 

それが今回は違いました。

 

─あぁ、その言葉聞いたことあるけど全然知らん。ちゃんと知りたい。

 

やんさんの語ることを理解したいと思えば思うほど、自分の歴史の勉強不足を感じました。

でも、だからこそ今までただの「単語」だったものが、やんさんの話を通してただの「単語」ではなくなる気もしました。

やんさんのライフストーリーは、私や生徒を歴史とつなげてくれるきっかけになったと思います。

 

 

 

また、やんさんが語るとき、一つひとつの言葉をとても丁寧に選んでいる感じがしました。「終戦」というのか「解放」というのか、「統治」というのか「支配」というのか…。そのあたりをうやむやにするのでもなく、簡単に片づけてしまうのでもなく、やんさん自身も語りながら考えているように思いました。

きっと、本当はそうなんだと思います。この世界には、簡単に表現できないし、いろいろな角度から考えなければならないけど、簡単に使ってしまっている「言葉」がたくさんある─、そんなことを思いました。

 

 

 

「解放」については、やはりその場に参加する人の数だけ認識があるみたいですね。

やんさんにとっては、自分が自分のままでいい、世界とつながる、その瞬間の感覚のようなものだそうです。

私にもこうした瞬間を感じたことはあったので、その言葉にできない感覚を思い返しながら聞いていました。

 

 

 

そしてさらに!生徒の(ほぼ私の)わがままを聞いてくださり、チャンゴ叩かせてもらうことができました~♪

 

 

これが難しい!

ハンマダンの公演で見ていたのと、自分でやるのとは大違いでした。

生徒の中には和太鼓の経験者(ずるい)がいて、てこずる私を横目にニヤリ。

でも2つチャンダン(リズム)を習得しました。

こんな風に身体の感覚を伴った経験はすごく大事だなぁと思います。頭で考えるのではなくて、それこそ感覚で楽しんだり自分を表現したり。

今年の東九条マダンで演奏できたらいいなぁ…でも仕事終わる時間がなぁ…なんてことを考えました。

 

 

 

そんなこんなで今回もいろんなことを考えさせてもらったフィールドワークとなりました。

ご協力してくださったやんさん、改めてありがとうございました!

 

 

 

 

自分の考えたことを書いていたら、こんなにも長いブログになってしまいました…。

生徒たちの振り返りについてはまた別の記事に書きたいと思います!!

では、また~!